思えば遠くへ来たもんだ(読むこと書くことの奥深さ)
この前『うたコン』で亡くなってからちょうど一年、谷村新司さん作詞の『遠くで汽笛を聞きながら』を堀内孝雄さんが歌っていて、
悩みつづけた日々が
まるで嘘のように
忘れられる時が
来るまで心を閉じたまま
(作詞 谷村新司)
の部分に、初めて共感してしまった。
中学生の頃、アリスのファンだったので、これまで何度も聴いてきた曲ではあるのだが。
思えば遠くへ来たもんだ
故郷離れて六年目
思えば遠くへ来たもんだ
この先どこまでゆくのやら
(作詞 武田鉄矢)
海援隊の『思えば遠くへ来たもんだ』という曲も似たような感じで、フォークの人たちが歌う遠く果てしない未来へ向けての郷愁みたいのに、何気に影響を受けていたわけです。
そういやその前にも『うたコン』のフォーク特集で、南こうせつさんが歌ってた「君のゆく道は 果てしなく遠い」(若者たち) みたいのが、ルーツであったりするのかな?
でもこれらの曲って谷村新司さんは28歳、武田鉄矢さん29歳の時にそれぞれ発売されてて書いたのまだまだ若い青年じゃないですか。
今振り返れば余り遠くじゃないし、実はまだそんなに生きてない (でも中学生から見たら立派な大人が言ってるところがミソで)
「当時武田鉄矢は谷村新司の誘いにより同じ事務所に在籍していた」(Wikipediaより)
普遍性への当て書きみたいな。
人が生きるのに大切なことは、汚れものをキレイにすることでも部屋をキチンと片づけることでもないような気がします。家事の問題で同じ屋根の下に暮らしている人同士が憎みあったり、傷つけあったりするくらいなら家事なんてものをやめにして、ゴミの山の中で抱擁しているほうがよっぽど美しい家と言えます
「ごみの山の中で愛し合おうね」(糸井重里『牛がいて、人がいて。』徳間書店より)
これは糸井重里さんが1981年、33歳のときに書いたもので、二十歳くらいの頃に読んで感銘を受けた…んだけれども、結婚をして他人と同居するようになった頃、糸井さんに会って聞いてみたかった。この考えはその後も変わっていませんか? と。
しかし今、これを書くにあたって久々に読み返してみたら、意外なことに今の時代に改めて肯定できる素晴らしい文章だと思った。
谷村新司さんの詞もそうだし、「十四の頃の僕はいつも/冷たいレールに耳をあて/ レールの響き聞きながら/遥かな旅路を夢見てた」という武田鉄矢さんの詞も、多くの少年(少女)時代の記憶を呼び覚ます。普遍性😂
頭が悪いこと言ってるのはわかってるけど、言葉ってこんなふうに影響力があるものだし控えめに言っても人々に影を落としてる。
実を言うと今回は、誰も過去の言葉や文章に責任なんか取ってないし取れるわけないじゃん ! 何なら何故に小山田さんだけが…みたいな話を否定的な文脈で書いてみようと思っていたのが…うまく行きそうにない。
陰キャ、元祖ネクラなもので。
友人の名前は、まだ無い。さんと読書会の真似事をしたときに、雑談のなかで出てきた話をここで書いたら何と著者の富永京子さんと編集者の竹田純さんが見つけてくれて…
うれしかったのと、その(人文)「科学者魂」を垣間見た気もして流石だなぁと感心してしまった。けれども一方で…
近田 : そこに、一歩引いた視点から自分と作品との関係を見る俯瞰的な意識はない。
宮台 : はい。アニメや歌謡曲のような娯楽に過剰に社会性を見出だして蘊蓄を語る営みも、「嫌なやつごっこ」で、劇場版ヤマトブームを契機とした「OUT」(1977~95年)、「アニメージュ」(1978年~)、「ファンロード」(1980年~)も「嫌なやつごっこ」から出たものですが、程なくマジガチのファン雑誌になります。その裏目読みの文脈を意識的に再提示したのがパルコ出版の雑誌「ビックリハウス」(1974~85年)です。
(宮台真司 近田春夫『聖と俗』KKベストセラーズより)
宮台真司さんの自伝 (最新刊) が面白い。引用部分を参考にしたわたしの考えですが、やっぱりビックリハウサーは恐らく自分たちが少数派 (≒ネクラ) の自覚があり、そのことがあってあえて「ネクラ」というワードを使わなかった、使いたくなかった。頻出ワードにないのはそのことの表れなんじゃないかなぁ。
前回に貼らせていただいた石田月美さんの「非哲学者による非哲学者のための読書会・感想」における文章の、
「本との付き合い方は人との付き合い方と同じなのだと改めて思う。そして、自分がこれからどのように人と付き合って生きていくのかを私は今問い直している」
などに非常に感銘を受けたこともあって、昨夜の飲み会🍺でも「理解を拒否」しないように心掛けて、彼の物語を真剣に「読んだ」。
そしてついに明日、宮台真司先生の界隈塾に参加できる。
https://x.com/38dai_kaiwai/status/1847537986713636881?t=GfEjrNCR98rvVMg0kJxWUw&s=19
ゲストの中谷友香さんは『幻想の√5』(KKベストセラーズ)を買って読んだときからこんなヘタレおっさんとも心の込もった交流を続けてくださったりする、心から尊敬するお方。
『幻想の√5』を改めて読み直してみれば、オウム事件の本でありつつ、これは作者である中谷友香さんの本であるという、考えてみれば当たり前のことも、まだ読めてなかったことに気づく。当初なら無理もないとも言えるオウム、宮台真司といった元々興味を持った概念への比重。結局そっちに引っ張られていた。そのままにしていた。
中谷さんの中学~高校生までの地獄が語られる前半部分の重みが、やっと少しは理解できるようになってきた。4年かかってやっとこれだけ。本質に関わる大事な部分が読めてなかったことに気づかされる。
くじけずに、精進していこう。
2012年7月30日月曜日、ムギちゃんと共にわが家にやって来て以来 4464日、12年間、一緒に暮らした家族のヨネちゃんが、
本日15時15分、旅立ってしまった。
気ままに生きて、可愛さふりまいて、
生き物は死んでくことを教えてくれた。
ヨネちゃんありがとう。