こどものオッサンの歌。(プラグマティズムの限界について)
大人になって責任が生じて、そっから人生が楽しくなくなった。自己責任が強調されるようになり、さらに。そもそも責任って責めるを含んでるじゃんね。苦しめる。悩ます。
もう1年半前のこと、そういや健診、要再検査だったな~って漠然と行ってみたら糖尿病と診断された ( 診断も何も数値が既にオーバーしてた。無知なだけ)。
この『note』って、その顛末を伝えたい! という大義名分があったからこそ書き始めることができたっていう経緯があるんだけれど。
でもそのことや、あるいは別のことも書いて自分を曝け出す中で、ふと我に返るといい年こいた己のおこちゃまっぷりがあからさまに露呈しちゃうんで、情けなくもなる。
一方それより高い所で見ている観客席の自分は大層ご立派な大人のつもりで。
先日もBSフジの『プライムニュース』を観ていて、気鋭の若手保守思想(史)家の先崎彰容さんに対し「君のような議論をおこちゃまと言ってるんだよ」とブッた斬る井上達夫さんに快哉を叫んだりして。
それとか自分、若い頃から宮台真司さんを敬愛しているというのに、会社ではどう考えてもヒラ目キョロ目のポジション取りクソ野郎でしかない ( 本業では『なりすまし』できることでの貢献を、常に考えてはいるけど )。
知的にも怠惰。働いていると本が読めないし。そんな言い訳を用意するまでもなく「本を読まない本好き」を自称しているし。
「とにかく『人間関係』というのが苦手だ。向いてない。それなのに人が好きだから困る」(石田月美『まだ、うまく眠れない』文藝春秋より)
とはいえ「僕だけのキラーチューン」 (©️大森靖子) に思えた石田月美さんの本だけはこの夏に読んだ。さらにお盆直前の 8/10南海トラフ注意の状況下、下北沢B&Bで「この夏最大の生きづらさ応援」と銘打たれたトークイベントにも出かけた ( 登壇者は精神科医の斎藤環さんに文筆家の吉川浩満さん。その話はまた )。
今週の火曜日、安定の早朝覚醒。そんなこともあってか石田月美さんがリポストされていた斎藤環さんの報告書をガン読みしてしまった。
2021年に起きた旭川のいじめ自殺の事件、概要のみで詳しくは知らなかったし (痛ましい…ご冥福をお祈り申し上げます)、こういった公的な要請からの報告書をじっくり読むことも (恥ずかしながら) なかったが、斎藤環先生のこれが画期的なレポートであることは直感できる (昨日の帰りに荻上チキさんのラジオでも取り上げていた)
「以上のように、いじめ被害は、被害を受けて長期間を経た後にも、うつ病やPTSDなどの発症率を高め、自殺リスクを高める可能性が高い。それゆえ爽彩さんの自殺が、いじめの直後ではなく、いじめ被害を受けてから約20ヶ月後に起きていることを理由に、いじめ被害の影響を低く見積もることは正当な判断とは言えないのである」
『いじめとPTSDの因果関係』(の衝撃。)
読んでいて、ある種の戦慄が走った。
(今のオレが出来上がったの、コレだ)
自分自身の話にして恐縮ですが、わたしが中学の頃のいじめって今振り返っても苛烈で、「校内暴力」って言われてた。それ程のものを、日常茶飯事ってくらいに見ていたわけ。
なので自分が受けた暴力なんて、それと比べれば軽いもんで…などと必要以上に「大したことなかった」と、思い込もうとしてきた?
中学生の頃に受けた「理不尽な暴力」と、「自分がおこちゃまであること」の関係に、繋がりを感じてしまったのです。
相対的に軽く考えていた (ことに思い当たった)。軽いけど。いや軽くない。PTSD。
だとしたら、ジャニーズみたく被害者がゴマンといるじゃないか (って話しにもなるが)
だとしたらここで問題にしたいのは、自己啓発でベースとされるような「アナタの優位感覚は、意識の向かう先は…」とか性格とかタイプ分けだとか、能力開発等の根幹となっているプラグマティズムもある意味揺らぐんじゃないかってこと。
これまた石田月美さんがリポストされてて…
理系? システム系? の頭の良い人がモデル化するとこうなるのだろうと刮目してしまうわけだけど ( 対象が曖昧なのでよく読まなきゃだ )
そもそも普通にやれてる方々 ( 健常者 ) ってこういうものに興味を持たないし、食い付く必要もないのです ( ここではハンディキャップのハンディたる所以を言ってる)
以前、NLP について書いた際にふれましたが、
例えば「V」で視覚的に目で見た情報でも
「Ve」と「Vi」とに区別していて。
「外部(External)」を表す「e」と
「内部(Internal)」を表す「i」を付けて、
なるほど自分は外界を視覚的に認識している ようでいて「内なる目」に傾きがちで、気づけば内的な経験を「見て」しまいがちだな…ということに気づかされた、わけ。
この傾向だって、多分それだ。
とにかく問題なのは、人のことばかりが気になって、仕事以前にまともな認識すらできなくなってしまうことなのです。そんなことも覚えられないワケ ? という普通の人からすると理解不能な状態になってしまうのです (それは人を苛立たせ、怒りすら誘うことになる)
あらゆることに主体的になれない。
そのことが決定的な欠陥なのだ。
( 対人過敏にオフィスワークは向かない )
結論。向かないことは、しない方がいい。
得意なこと、それがなければできることをやれ。
3年くらい前、文芸誌に「ロジスティックス」というワードを発見して注目した…
戸谷洋志さんの最新刊がどストライクで。
『生きることは頼ること』(講談社現代新書)
勅使川原真衣さんの集英社新書、
『働くということ 「能力主義」を超えて』
「一大パラダイムシフト」を命がけで実践されている(嘆いてるだけでは恥ずかしい)
もはや人文書だけが良心だ ( と思ってる )
若いころ「泣き言はいわない ! 」と激励してくれたような、今のわたしくらい年長だった方には感謝しているけど。
変わらないものはあるが、
時代を経て、わかってくることはある。
多様性と共に変わるものは変わる。
「シンギュラリティ」を言った楽観主義の未来学者、レイ・カーツワイルは糖尿病だそうで、そういう背後から興味を持った。
「リスキリング」って単なる学び直しではなくって、「新しいことを学び、新しいスキルを身につけ実践し、そして新しい業務や職業に就くこと」( 後藤宗明『リスキリング』日本能率協会マネジメントセンター ) らしいし。
生きづらい人、何とかなるよ。
そういうオッサンもここにいる。
あきらめず、本を読もう。実践を続けよう。
生きづらさを超えて !
朝日新聞、𠮷川浩満さんの記事。
(にも注目できるようになった)
読んでいただき、
ありがとうございました。