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ぼくの先生はフィーバー(元気が出る宮台真司さん)


小3の頃からプロ野球(巨人)が好きになって、遊びといえば野球をしてた昭和の子供。でも中学に上がると同時に入った野球部は練習が厳しいだけで、ち~っとも楽しくなかった。

先日、会社の10コ以上年下の上役が、同じ中学の野球部出身であったことが判明して(当時は現地採用の会社だった)顧問だった先生の話で盛り上がった。

彼の代は、全国大会ベスト8まで行ったことをそこで知った。正確に言うと、思い出した。後に風のウワサで聞いたけど、当時は多分消したい記憶だった。

新設3年目だったわたしの頃は、結果こそ出てなかったのだが練習がやたら厳しく、しかもトリックプレイのような、中学野球にしては高度な練習も取り入れていたが…顔が広く他校の人とも交流があった彼の話から、それってプロレベルの練習だったと、今さら知らされた。

1979年3月30日、2年生に上がる春休みには地獄の合宿があって、何で日付まで覚えてるかっていうと、日中からその先生が「今夜は熱中時代の最終回を観るからな~」と宣言していて、夜のミーティングをテレビ視聴の時間に切り替えたから。

そうして3年間、何とか耐えて過ごし、最後の面接で (2コ上の姉がバレー部で、中学校の創立メンバー同士のよしみかこの先生と仲良しで)、「弟が入ってくると聞いて期待して…でも野球はともかく勉強の方もアレで…」などとガッカリを表明されて終わりました。

いつしか中学野球界の有名人に成っていた。 (残念なことに15年前に亡くなられて、その早すぎる死を惜しまれる中でそのことを知った)

努力、根性、熱血、これが青春だ、の昭和。

さらに記憶をさかのぼる。わたしが小中、高校まで通っていた東武東上線の上福岡駅(団地だらけのベッドタウン)とその最寄りのわが町(当時)は、NTT(当時は電電公社)や東燃、旭化成、日清製粉といった大企業の研究所が集中していた。

つまり、高度成長(の最後の方?)を支えた方々のご子息が同級生だった。わが家と違って教育熱心の親を持つ彼らは、やはりそれなりにお勉強ができ、ボケーっと遊んだり歌謡曲を聴いたりして過ごすだけの自分とは、最初から差が開いていく一方の運命にあった。

わたしには劣等感ばかりが育ち、明るさや快活さの欠片もない、当時言われ出した「ネクラ」というカテゴリーに当てはまるタイプの中学生、高校生になっていった。

生まれてこの方、努力しなければ評価されない、そういう時代をまったくの努力なしに生きてきた、それがわたし(ひねくれたりへそが曲がったりしながら)

就職してからも(会社も町内😂)
努力ってものをせずに過ごしていた。



1999年、その名も『世紀末の闇を裂く講座』と題する地域学習の講座が隣町であると知り、週末に通いつめた。


タイトルからして公民館っぽくない😅


「宮台真司さんスッゲー!全く媚びてない。テレビで観るそのまんま。来れてよかった!」
(kenzi『NEW DIARY 1999』より)


これを企画した岡安さんが凄い!

10月1日 金曜日、もっとも楽しみにしていた宮台真司さんの回、今回引っ張りだした日記にはそう書いてあったけど、

この日、わたしが「エイズはどうなんですか?」と質問すると、「今はカクテル療法というのがありまして…」と答えてくださった。


ちょうど『野獣系で行こう!!』の発売日だ。


どんだけギャップ萌えしてんだ、オレ😂

フリッパーズ・ギターのファンだったわたしなので、94年に放映された ETV特集『シブヤ 音楽 世紀末』は楽しみにして観たのですが、理解が浅くピンと来ず、当時の雑誌でのコメントも含めて宮台先生に良い印象を持てなかったのでした。

しかしその後は大いに助けられるようになり、まだ子供が小さかった90年代後半には、シンポジウムを見つけては出かけるようになりました。


先々週、「界隈塾」に参加できることになり、サイン🖋️をしていただき、初めてお会いした新河岸、幼少時代の先生が短い期間過ごされた鶴瀬、そしてわたしの最寄駅の「上福岡」って東武東上線ネタを言ってみたら『上福岡ね~』って、宮台先生はおっしゃった。

そういえば 2022年1月17日、その上福岡からほど近い(今はふじみ野市という)わたしが通った小中学校のすぐ側で「散弾銃立て籠り事件」が起きてしまった。

その頃に発表された「無差別殺戮事件の背景を神話的に描き出した稀有な作品」として評された、映画『ニトラム』についての文章が、わたしにとって特に重要に響きました。


https://twitter.com/tenkist/status/1520538887004856331?t=tKUDV_EaBlVBNVOpKcpGXQ&s=19


そして何と、近田春夫さんと共著の宮台真司自伝『聖と俗』を出されると知り、ずっと楽しみにしていたのですがついに発売となりまして、期待以上にとんでもない密度の本になっているわけですが…

「その後は、ちょっとだけ埼玉県の入間郡富士見町(現・富士見市)で暮らした後、京都に移り住みます。」(P52より)

と触れられたのと、あと個人的には…

「反面、早生まれなのもあり、普通の意味で言う成長は遅れていました(中略)小学校に入っても男子で一番背が低かったのが僕でした。低学年では徒競走もビリ。これらも『自分は弱い』という意識を強めました」(P51より)

のように、今までは『マゾバイブル』など一部でしか読めなかった「弱っちい自分」について語られているのが嬉しかったりします。

あと歌謡曲 !! の楽しみを共有できる人がまわりになかなかいないので、何と宮台先生が一番の理解者だなって今回おもい、それも嬉しかった。


近田春夫さんは『月刊明星』付録の歌本レビューの大ファンだったし、思えばわたしが初めて触れた評論だったわけであります。

『聖と俗』は近田春夫さんの「合いの手芸」も見所です。凄まじいです! 初読でのわたしのNo.1は「リンカーンみたいな表現で罵倒するねえ(笑)」(P291より)です😂

それから自己啓発についても…
(コンテンツの消化が追いつかない😓)


当然買ってあります
トークライブ見なければ!


宮台先生にお会いして、
いくつか変化が起きた。

ひとつには、
冒頭に書いた野球部の先生のこと、
当初はネガティブに書くところだった。
(改めて相対化することができた)

社宅の団地がいて、農家がいて、貧乏だけれど、とりあえず家族でレコ大や紅白を楽しんでたわたしみたいなのがいて。
(そのことについても)

起きたことの、全てはよかった。

このクソつまんねーわたしの自分語り、個人史すら肯定できるようになり、こうして書いている。

楽しいからやってたんだし、
楽しいからやるんだよ。

猫が死んでしまい、裏の林に埋めた。シャベルで穴を掘るなんて何十年ぶりだろう。
(宮台先生にお会いできる前日に猫が死んだ)

近田春夫さんの最高なやつ貼って終わります。読んでくれてありがとうございます!





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