[ちょっとしたエッセイ]30数年、歳月人を待たず
ふと、思い立って、歩道橋から僕はシャボン玉を吹いていた。
時は夕方、これだけのために100均でキットを買って、ここまでやってきた。
トントンと、吹き口を液体につけ、咥えてやさしく吹く。徐々に息を強めに出す。上手く吹けると、信じられないくらいにシャボン玉が連続して空へ舞い上がる。
側道を歩く若い女性たちが、空に指を差しながらうれしそうな声をあげているが、こちらを見ると、目線を外してそのまま過ぎ去っていった。
側から見ると、おかしなおじさんが歩道橋で侘しくシャボン玉を吹く、世紀末の様子に見えたのだろうか。
なんで、わざわざ歩道橋でシャボン玉を吹くのかというと、一応それなりに理由がある。僕は父との思い出が多くない。とにかく数が少ない。
その少ない思い出エピソードの中に、一緒に歩道橋の上で吹いたシャボン玉があった。しかも一度きりではない。何度も一緒に吹いた。記憶の初めは幼稚園くらい。そこから何度も、父親とこの歩道橋でシャボン玉を吹いた。幼稚園、小学生の頃は毎週のように、そして最後は中学の時だったと思う。
今、立っているこの場所は、いつも父親とシャボン玉を吹いた歩道橋だ。時折、流れ流れて、またこの場所に戻ってきたわけだ。
景色は、昔と変わったような、そこまで変わっていないような。記憶のグラデーションに目がぼんやりと確かな景色を捉えられないでいる。でもあいまいであっても、この場所があの場所であることはハッキリとしていた。
自分の行動を振り返っても、こういった記憶に残る場所には、何度も訪れてしまう癖があるようだ。シャボン玉の行方を目で追いながら、ちょっと昔のことを思い出していた。僕の父親は、まさに団塊世代の父親で、絵に描いたようにいつも仕事をしていて、家にあまりいなかった。僕らが寝る頃に酔っ払いながら帰宅して、朝も早かった。
今では考えられないが、土曜日も出勤して働いていた。それが普通で、あの昭和という時代の普通だった。
初めてシャボン玉を歩道橋の上で吹いたのは、幼稚園くらいだったと記憶するが、父親の唯一の休みの日曜日、一緒に近所のタバコ屋までタバコを買いに行くついでに、国道を渡る歩道橋の上で吹いた。真っ赤に染まる夕焼けを目の前に広がるシャボン玉がきれいだったことを今でも覚えている。
横で、父親がマイルドセブンに火をつけながら、はしゃぐ僕を見て笑っていた。
それからも、だいたい同じようにタバコを買いに行くついでに、この歩道橋にやってきた。ただ、僕が小学生の中学年くらいからは、一緒に行く回数は減っていった。おつかいができるようになったからではないかと僕は思っている。親と子の距離は自然と開いていくものである。気がつけば僕は中学生となり、父親は事業を興し独立のためにさらに忙しくなっていった。
最後にシャボン玉を吹いたのは、僕が中学2年の時だったと覚えている。僕は学校の寄宿舎に住んでいたため、土日だけ家に帰ってくる生活を送っていた。日曜の寄宿舎へ帰る途中。ちょうど僕はその頃、音楽に興味を持ち始めていて、こづかいもあまり残っていなかったため、父に帰り際にCDをねだろうとしていた。最寄りの駅まで送ってもらう途中、小さなレコード屋で父にCDを買ってもらった。The Clashのロンドンコーリング。
「洋楽なんて聴くのか」
父はそう言って、小さながま口から折り畳んだ1000円札を2枚取り出してくれた。なんというか、豪快でもない、しめやかなその仕草になんだか心が締めつけられるような気がした。レコード屋を出ると横に文具店があり、軒先に子ども向けのシャボン玉のキットが売っていた。父はそれをさっと取って中に入っていった。
「シャボン玉吹くか」
別に僕の許可を取ることもなく駅と反対方向に向かっていった。もちろん向かうは歩道橋だ。夕暮れも近いとある夏の日。町を歩く人たちが、歩道橋から放たれる小さな玉虫色の浮遊物に目を向けていた。
「がんばれよ」
父はそう言って、駅のホームで僕を送り出した。なんてことないいつもの週末の情景は、何気なさすぎて、味気なさすぎて、案外覚えている。
「うん。じゃあね」
あれから30年くらい経って、僕はまた歩道橋でシャボン玉を吹いている。あの時、手を振って別れた父親との思い出なんて、人生において別段なんてことのない日常で、イベントでもなんでもない情景ばかりだ。人間の記憶なんていうものは、事の大小で覚えているだけではないのかもしれない。連続するシャボン玉は、すぐに割れてしまうものもあれば、いつまでも空に浮かんでいるものもあるわけで、それを最初から選別はできないし、かといってそこまで考えて吹き出すわけでもない。
そこに残ったものが、時を経てなお心に浮遊している。時は過ぎ去っても、僕はあの時から置いてけぼりのまま案外なにも変わらずに、なんとか生きている。
明日は父の命日。