雑記:見たくないもの
八重洲ブックストアドトールで見た、70代くらいのお婆さん(車椅子)とその娘と思しき50代くらいの女性のやりとりを思い出した。
店内で読書をしていたのだが、その二人の様子がかなり印象的で読書する手が止まった。
その人達を見て率直に、『心が豊かに見えないな』と思ってしまった。そういう人をみると、色々考えさせられる。
◎〈出来事・ファクト〉
女性:もぅ、、残さないでよ、ウチお金無いんだからぁ〜💢 ああもうこぼさないでよもう、、、 あ〜またやった、、、恥ずかしい
お婆:もういい加減にしてよ!!(もういや!!って感じで感情が爆発している。)
◉〈結論〉
やること全てを口頭で否定され、食べたくないものを残すことも否定される。
【感想・独り言】
なんだろうね、、
こう、明日は我が身なんだけどさ。いつ金がなくなるかなんてわからないし。
なんでこう、なんでもかんでも禁止するんだろう、
どうして、そんなことができるんだろう
体は不自由なのに、体だって老いてるんだから、消化も大変だろう。
それなのにどうして、そんなこと言えるの???
あと、自分にもああなる可能性があるというだけで、なんか嫌だ。
俺はあの人たちの苦しみも、喜びも楽しみも、生い立ちも知らない。そんな状況下で勝手なこと言ってるのはわかる。
自分だって将来はああなる可能性はゼロではない。
だけど、絶対になりたくないと思う。
それなのに、自分もああなる可能性があると考えてしまうとなんか嫌になってきてしまう。
こんな記憶は思い出したくもないんだけど、それでも、この感情を大事にしたいって氣持ちはある。
また思い返して、今みたいな嫌な感情に支配されたとしても、そんな自分も受け入れてやろうと思う。
なんで嫌なのかな。
なんかこう、死にたくなってくるんだよ、どうして生きてなきゃいけないんだって思う。
あの人達のことも、勝手に「あんな状態で生きている運命なんて、しんどいだけだろ」と思ってしまう。
ああなるくらいなら、ああなる未来があるなら、死んだ方がマシだろと、思ってしまうのだ。
どんな未来が待っているんだよ。あの人たちには。
死ぬという事実が唯一あの人たちに与えられた救いなのではとつい思ってしまうのだ。