哲学的に生きていきたい
今まで20年以上普通の人生を送ってきたと思っています。特に目立つことはなく、陰で誰かを支えるようなこともなく、自分がその時々で自分のために頑張りながら、いろんな局面を迎えて今にたどり着いている、という感覚があります。
それは決して人に冷たいというわけではなく、ただ単にやりたいことがなかっただけなのかもしれません。
だから人生の目標とかモットーとか考えたことはありません。でも2年前、ふと思い立ってTwitterのプロフィールに書いた言葉がしっくりきて、今でも載せ続けています。
それが「哲学的に生きていきたい」です。
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哲学が好きです。
今まで専門的な勉強はしてこなかったし、本をたくさん読んできたわけではないけれど、哲学者の思想を捉えて自分なりに考察するのが好きです。
無知の知
人間は考える葦である
我思う故に我あり
哲学者が何日も何年も考えてたどり着いた結論とその経緯を学んでいき、自分の中で腑に落としていくことで、「知る」という感情が芽生えます。それを重ねていくごとに自分の人生が少しずつ豊かになっていく感覚があります。
哲学の醍醐味とはそういった新たに生まれる感覚の獲得だと思っています。そして、それが僕が哲学が好きな理由です。
時に人生の生き方を指南してくれる哲学は、どんなビジネス書や自己啓発本をも超越した概念を述べてくれ、今に至るまで何度もその概念に助けられてきました。
そういった意味では、僕は哲学に生かされているのかもしれません。
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僕はそんな哲学を、もっと自分のものとして使っていきたいと思っています。
あらゆる物事は表面の世界だけではなく、その裏を見てみると、そこにはいろんな考えが控えています。この世の中は結果を評価されることが多いけれど、そこに至るにはいろんな人のいろんな思いがこもっています。
僕はそこに控えるいろんな考え方をすくい出して、言語化をしていきたいです。今まで日の当たらなかった、もやもやした塊のような感情を、いろんな側面から眺めたり、ときには厳しいアプローチをしてほぐしていくことで言葉に置き換えていく。自分にも他人にも。
そうすることで今まで見えてこなかった真意が明らかになり、少しでも人生の豊かさを実感できるのではないかと思います。
それが僕が思う「哲学的に生きていきたい」という考え方です。
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毎日書いているこのnoteの投稿は、僕にとって感情の言語化ツールの一つです。
物事を素早く伝えるための簡易的な表現から敢えて離れてみて、一歩も二歩も切り込んでいくことでその真意に迫っていく。僕はそういった行為にとても面白みを感じています。だからこうして、毎日1000字のブログを休まずに投稿できています。
月並みな表現に落とさない、内から湧き出る言葉を拾い上げていき、僕はこれからもこの発信を続けていきたいと思います。それは哲学を自分のものとして使っていきたい僕の一つの宣言でもあります。
一つ生まれた人生のモットーを実感して、これからも生きていきます。
今日で28歳になりました。
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サムネイルの場所:カズベキ ゲルゲティ三位一体教会