目的を見失わず、良い加減を見つける。
今回のテーマ
自らの考え方行動に余裕を持たせるという話。
よろしくおねがいします
本を読むからにはすべてを理解しなければならない。
仕事をするからには完璧に。
家事を完璧にやりこなす。
出かけると決めたら何が何でも目的地に行く。
計画を立てたならば、必ず最後までやり遂げなければならない。
あげたら無限に例をあげることができそうですが、
勝手に自分で目標を厳しく設定して苦しくなってしまっていることはないでしょうか?
何かをするとしたら完璧にしなければならない。完璧にすべきだなどなど
かくあるべしという考え方になっていたら注意が必要だと考えます。
仕事にしても相手の要求を満たすことが目的であり、自分自身の完璧にしたいという気持ちを満たす行為ではありません。読書においても学校教育のように、一文一文丁寧に読まなければいけないというわけではありません。
精読するところもあれば、適当に読むところもあります。流し読みでもいいたいことがつかめる場合もあります。計画を立てたからといって、イレギュラーもあります。どこかに出かけると決めても、体調が悪くなることだってある。
まじめな人、融通が利かない人ほど、まぁ私もそうでしたが、
こうしなければと決めると、それ以外の選択肢や余裕を持った考え方ができなくなる人がいると考えられます。そしてこうした方は自分の考えに縛られ、身動きが取れなくなり、無理をして体を壊し、精神を病みどんどん不幸になっていってしまうと私は考えています。
そこで、タイトルにあるように何が目的なのかを改めて意識することが大切ではないかと考えるわけです。完璧主義、べき論を超えて何を果たせば良いのか、自分の考えに余裕があるだろうか?こうしたことを考えたうえで行動、計画をすることで、自分を結果的に守り、目的を果たしやすくなるのではないかと思うのです。
自分の考え方がかくあるべしになっていないか、自分に問いかけてみることをおすすめします。
まとめ
目的を見失うことなく、べき論、かくあるべしから離れてみるということ。
今回はここまで
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