「著作権」は要らない
メロディーを所有するとはどういうことだろう?
あなたが私にあるメロディーを教えてくれたとしても、あなたはまだそれを持っている。
しかしあなたのメロディーが、1000年前にあった似たメロディーと1音しか違わなかったとしたら、それはそもそもあなたのものと言えるのだろうか。
引用:〈インターネット〉の次に来るもの
『〈インターネット〉の次に来るもの』を読んだ感想、第32回です!
第1回:現代に生きるぼくたちはみな、「永遠の初心者」
『著作権』って、本当に難しいです。
発想としては、家やお金などと同じようにアイデアを『個人の所有物』として帰属させよう!というところからきてるんですけど、アイデアが家やお金と大きく違うところは『目に見えない』というところです。
目に見えないということはつまり、その境界が非常に曖昧だということです。
われわれの法体系のほとんどはまだ農耕時代の原理原則で動いており、所有物には実体があることが前提となっている。
つまり、デジタル時代に追いついていないのだ。
それは努力が足りないのではなく、所有することが以前ほど重要でなくなった時代に、所有がどう機能するかを明確にできていないせいだ。
引用:〈インターネット〉の次に来るもの
そして、現代に生きるぼくたちは『著作権』があることが当たり前ですが、人類史全体で見ると、著作権なんて概念が存在しなかった時間のほうが圧倒的に長いんですね。
とは言うものの、時間の長さに関してはそこまで大事ではありません。
いまの時代に重要な概念なのであれば、新しくルールを作って運用すべきです。
ただ、じゃあ著作権を含めた知的所有権を法律で保護すべきなのかというと、ぼくは諸手を挙げては賛成できないなというのが、正直なところです。
キレイ事だと言われるかもしれませんが。。。
というのも、
でも書いたんですが、ぼくたちが自分で生み出したと思っているアイデアって、多かれ少なかれ他人のアイデアや作品から影響を受けています。
でもそれって、基本的には頭の中で行われることであって、外からはどのアイデアを参考にしたのか、どのくらい参考にしたのかは見えません(無形物だから)。
どうせあやふやになってしまうのなら、最初から規制することを諦めてしまったほうがいいんじゃないかと思うところもあります。
それに、もう全面的にOKにしてしまったほうが、社会全体のアイデアの量と質というか、もう少し広く言うなら社会全体の進歩を考えたときに、より進歩のスピードが上がります。
アメリカの著作権法はクリエーターに対してさらなる創作活動を支援するために、著作権者に一時的に独占的な権利を与えており、その有効期限はクリエーターの死から70年以上に延ばされてきたが、それは本人の死後の影響力から考えても長いものだ。
多くの場合、この非生産的な一時的独占は1000年となり、さらに延ばされており、もはや一時的とは言えない状態になっている。
インターネットの速度で動いている世界で、1世紀もの法的な締め出しはイノベーションや創作活動にとって重大な損失だ。
それは、物質を前提にした前時代の名残による重荷でしかない。
引用:〈インターネット〉の次に来るもの
あと、ここまではアイデアや作品といったわりと形ができあがった状態の無形物の話でしたが、近くない将来には、『情報そのもの』が企業間、プラットフォーム間で統合されるかもしれません。
これも、いまは各企業が大事に大事にサービスを通して得たユーザーの情報を保持していますが、将来的にはさらなる拡大(=より大きな価値を提供)のために、企業同士で情報を共有する未来がやってくるだろうということです。
アイデアだって、同じです。
3人寄るだけで文殊になれるのだから、全世界のアイデアを集めて共有したら、それはもういま以上にたくさんのアイデアが出てきたり、もっとすごいアイデアが出てきたりするはずです。
現実的に考えて、完全に著作権などの法律を撤廃することは難しいかもしれませんが、ゆるやかな方向性としてはどんどんグレーな感じになっていくのではないでしょうか。
本当の差別化要素は、アイデア自体よりも、そのアイデアをどう具体化するのか、どれくらいやり抜けるかという実行力です。