Amazonのオススメは、本当にぼくたちのことを考えてくれているのか?
「多くの人がこれを選んでいます」といった提案による売り上げは、アマゾンでは売り上げの3分の1を占め、2014年にはその効果は300億ドルに上った。
※本中より引用
『〈インターネット〉の次に来るもの』を読んだ感想、第26回です!
第1回はこちら↓
きょうのnoteの冒頭で引用した箇所を最初に読んだとき、そんなにあるのか!と驚きました。
Amazonって、商品ページを見てたら、下に『この商品を買った人はこんな商品も買っています』とか『この商品を見ている人は、こんな商品も見ています』みたいな感じで、次から次へと商品をオススメしてきますよね。
しかもこれが、けっこうセンスいいレコメンドをしてくる。
ぼく自身、実際に『あっ、こんな商品もあったのか!』と思って、そのまま合わせ買いしたことが何回もあります。
きのうのnote(情報が溢れるいまの時代に、一番信頼できるレコメンド)では『これだけ情報が溢れている時代だから、摂取する情報に対する優先順位付けが必要だ』ということを書きました。
そうすると、一見、ぼくたちが買いそうな商品を、膨大なデータをもとにかなり的確にオススメしてくれるAmzonは、とても良い情報フィルターのような気がします。
ただそれに対して、筆者はちょっとした警鐘を鳴らすのです。
アマゾンの使うフィルターは売り上げの最大化に最適化したもので、あなたが見ているページの内容もフィルタリングされている。
※本中より引用
ちなみに、Facebookについてもこのように言及しています。
フェイスブック内の友人の数は平均で200人ほどだが、その投稿だけでも山ほどあり、フェイスブックとしては、それらを削除して編集し、切り取ってフィルタリングした方があなたのニュースフィードの流れが良くなると考えている。
つまり、あなたは友人すべての投稿を見ているわけではないのだ。(中略)
同社は参加者の満足度を上げるためだと言っているが、私が思うにこのフィルタリングは、ユーザーがフェイスブックで過ごす時間を最適化するためだ――あなたの満足度よりもよっぽど計測しやすい。
だがそれは、あなたがフェイスブックに望む最適化ではないだろう。
※本中より引用
AmazonもFacebookも、ぼくたちに最適なフィルターを提供してくれていますが、それはAmzonやFacebookにとっての最適で、ぼくたちにとっての最適であるとは限らないのです。
例えば今回の例だと、AmazonやFacebookは、ぼくたちに『確実に相性の良いものだけ』を見せてきます。
そっちのほうがたくさん商品を買ってくれるし、たくさんタイムライン上に滞在してくれて、彼らにとっては都合が良いからです。
でも、ぼくたち側の都合を考えたときには、それだけだとやっぱり少し物足りないですよね。
こういった話のときには、よく『セレンディピティ』という言葉が出てくるのですが、セレンディピティというのは『思いがけない発見』というような意味です。
ぼくたちは、もう既にぼくたちに合うと分かっているものだけではなくて、合うかどうか分からないものにも触れていきながら、自分の世界を広げていくことも大事です。
(もちろん、自分の好きなものだけに囲まれていたい!という人もいて、それはそれでひとつの考え方として尊重されるべきですが!)
そうなると、ぼくたちにピッタリな提案ばかりしてくるAmazonやFacebookは、ぼくたちにとっての最適なフィルターなのか?という問いは持っておくべきです。
ということで、きのうの『一番信頼できるフィルターはなんだ??』というテーマの続きのような形になったのと、なにか明確な答えがあるわけではないんですが、『世でいいねという言われているフィルターが、本当の意味で自分にとって信頼できるフィルターなのか?その(良い意味での)疑いは常に持っておくべき!』という話でした。