死の壁

最近は自分の死を考える。
年齢を重ねる毎に、これまでは存在しなかったはずの白い髪の毛が素知らぬ顔してそこに存在している。
「あー老いてきた!」
体力もどうやら落ち気味の様で、寝不足だとすぐに身体は休みたがる。
これが体力なのか気力なのかがよく分からないが。
このまま時間が真っ直ぐに進んで行くと、必ず人生が終わるんだなぁ~。なんて事をふと考える様になってきた。

だからかもしれない。「死の壁」というタイトルに惹かれた。
読んだ感想は、「そうか!絶対に自分は死ぬんだから考えてもムダなのか!」だった。

自分は死というモノをそもそも避けて生きてきた。
まぁ当然だろうね。死にたくないんだから。
というか、死を遠ざけて生きてきたと言った方がいいのか。
むしろ自分が死ぬなんて実感したくなかった。そもそも白髪が増えてビックリするくらいだから当然だと言えるだろう。
それに対し著者の養老孟司は、「現代の都市型の人間は死を遠ざけて生きている。
しかし中世はもっと死が身近だった。何処其処にも死体があった。だから当時の人は死体を見て、俺もああなるんだろうなと思って見ていた。」と述べている。
うーん、正に。
続けて「現代人にとって死体は汚いモノであり、排泄物を水で流して隠す様に、死体も遠ざけて隠している。だから目にする機会がなく、余計に身近で死を感じない」
とも述べている。
確かにそうかもしれない。
死体を見る機会なんて滅多にないし、そこにあっても目を逸らす自信がある。
だからかもしれない。自分や身内が死ぬ事なんて考えない。
何となくは理解している。そりゃあ絶対に死ぬって事は知っている。でもそれは実感を伴ったモノではなく、漠然とした知識としての捉え方でしかない。

しかしこの本を読む事でそんな自分も少し変わった。
よく考えてみれば、今日食べた焼肉は牛の死肉を食してるにすぎず、付け合せの野菜は、害虫対策を施されたモノである。
この世界は幾多の生死が実はこんなに身近にあるというモノの見方を改めて教えてくれた。

そして自分の死について、本では自分の死を考えるのは無意味だと書いてある。
衝撃的だった。
その根拠は、「自分は死の際に意識を失い、体験出来ない。自分の死体を見る事も叶わない。
実態のないモノをどれだけ考えたとしても無駄だろう」と。
続けて「しかし自分の死は自分にとっては、考える価値もないが、周りへの影響は考えるべきである」と書いている。
確かにそうだ。

自分も祖母の死を経験した事がある。その時、死の直前の眠った状態でベッドに横たわる祖母の姿は脳裏に焼き付いている。
あの時、もっと一緒に寿司を食べたかったとか、様々な後悔、思い出が脳裏をよぎった。
祖母は既に意識を失って目を開けることもなく穏やかに逝ったが、周りの人間はそこまで穏やかでなく、様々な想いを胸に抱いていたに違いない。

祖母は死の際に恐らく、自覚する事なく逝ったが、確実に周りには影響を残したのである。

死を意識する事で変わる事と言えば、残された時間で自分が何を出来るのか、真剣に考える事が出来る様になることである。
これだけ周りの人間に影響を与えるのならば、安易な死は許されないし、伝えたい事も増えてくる。
自分に与えられた命を、生の時間をどう使い切るか、改めてそんな事を考えるキッカケをくれた、良い本だった。

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