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栄光の岩壁

上巻冒頭に出て来た日暮里(正確には西日暮里が最寄駅)にある諏訪神社の名を見て仰天した。結婚してしばらくのあいだ、まさしくその諏訪神社の目の前に住んでいたのだ。主人公の岳彦が上がったという神社の屋根から望む富士山、崖下の小学校(現在は荒川区立第一日暮里小学校)そして神社にあがる階段など...いづれも当時の生活で馴染みのある場所ばかり。Instagramを通じて知った御茶ノ水の喫茶店”穂高”も何度か登場し、そのリアルな設定にグイグイと引き込まれていった。

日常生活が突然に戦中から戦後(終戦)へ様変わりし、伴いあまりにも劇的な環境や心情の変化、心の拠り所や情熱を注ぐ対象が何かわからなくなってしまった...そんな当時の若者の葛藤を通じ、山の世界の魅力とそれに取り憑かれた岳彦と彼を取り巻く人物のリアルな内面描写は、読む人の心を掴んで離さないだろう。特に行く末は妻となる恭子との恋慕はなんともいえぬ甘酸を感じさせる...岳彦の不器用かつ純粋無垢な山への愛情は、併読している神々の山嶺の羽生丈二を想起させられた。岳彦と羽生を重ねてイメージしたのはおそらく自分だけではないと思う。

主人公は実在した登山家の芳野満彦氏をモデルとしている。18歳で凍傷で足の指を全て失い絶望的とも言えるハンディキャップを乗り越えて、数々の登攀記録を打ち立てる...まさしく血の滲むような努力を乗り越えて奮闘する姿には大いに勇気づけられた。自分の膝のリハビリなどなんと瑣末な事だろうか。魔法瓶のルビが”テルモス”となっていたのには時代を感じる。芳野氏の著書「山靴の音」は非常に気になる1冊。

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