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水泳にのめり込んだ理由② #306
おはようございます。
口の中の同じところ3回噛んで、もう一回噛んだら多分死んじゃう森下です。
6歳から大学卒業まで、決して楽ではないトレーニングをほぼ毎日続けてきた理由を探っていきます。
昨日の記事では、始めたキッカケと親のサポートについて書きました。
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さて、選抜クラスに入り、選手クラスに上がりほぼ毎日練習をしていくなかで、徐々に周りの仲間とタイムの違いが出てくるようになります。
元々、身体がデカかったというところもあるけど、水の押してる感覚は幼いながらに考えながら練習していたと記憶してます。
もちろん当時は原理とかは理解してなかったけど、「こうやって動かすと進むなぁ」と思いながらやってましたね。
多分、そういうところが周りの選手たちより、ちょっと速く泳げていた理由だと思います。(生意気だな。笑)
この頃から、泳ぐことに自信もついてきて、将来はオリンピックに出たいなぁと思うようになります。
一緒に練習してた仲間とスイミングで会うのも楽しかったし、誰よりも(スイミングの中で)速く泳げるのが誇らしかったんですね。
周りからの期待と自己効力感も高まっていて、内発的なモチベーションが大きかったのだと思います。
5年生になると全国大会(ジュニアオリンピック)に出れるようになりました。
当時、通っていたスイミングクラブはJOに出れる選手はそんなに多くなくて、全国に出るというだけでも少し注目されていました。
もちろん兄ちゃんもJOに出てたし、なんなら全中とかで優勝してたから、兄弟そろって期待されてたんですね。
いつぞやから全国大会に出るのは当然で決勝進出を目指すようになります。
この頃からは週8回練習になって塩素漬けの日々を送ってました。
練習は死ぬほどキツくて(いや、死んでたかも)、練習前はキツいのやだなぁと思ったことは数えきれませんが、不思議と辞めたいと思ったことはありません。
むしろ辞めるという感覚は自分の中ではなく、このままずっと続けていくんだろうなという漠然としたものだけがありました。
中学3年になると、スイミングクラブの中で1番上の選手クラスで大学生や高校生に混じって練習してました。
その時の恩師とは引退するまでお世話になりまくりで、選手とコーチの関係でありながら、時には母と息子のような、時にはなんでも言い合える友達のような、あの人がいなければ続けてなかったと言っても過言ではないなと思います。
ここまでが中学時代の話。この頃には「水泳」=「自分」というくらいのものになっていて、もっと速く泳げるようにトレーニングするのは当たり前という気持ちになっていましたね。
大きかったのは、
ある程度、努力が身を結んで結果が出てきたこと。
周りから(良くも悪くも)期待されていたこと。
素晴らしいコーチと出会ったこと。
かなと思います。
そして伸び悩み、比較に苦しむ高校時代に突入するのでありんす。
続く------------------------
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森下健(もりしたけん)
1986/10/31 埼玉県三郷市出身。
学生時代は水泳に没頭。専門種目はバタフライ。現在はトライアスロンにハマっている。青春真っ只中。
奥様と息子(3歳)の3人家族。横さ浜在住。
家族、仕事、趣味についてとりとめなくつらつら書きたいと思います。