祖母の残した戦争体験を記録した手記 「ある母の道」#17
新さんが来た。
岩国駅の爆撃以来一ヶ月目である。元気そうだ。お互い無事であることを手を取り合って喜んだ。そしてあの日の事をお互に語り合う。
当日、すなわち岩国駅大爆撃の日、新さんは出勤していて信号所の二階に居た。「ドドドドーンと爆弾が落ちて来たのにたまげ、階段をころげ下り防空壕に入ろうにも、中には人が多くて入れない。それでも頭だけは中に入れ、飛行機が飛び去ると室ノ木の山に向って、走りに走った。どこをどの様に走ったかわからない。途中又来た身を隠す所がなく側の川に飛びこんだ。葦の中に首だけ出してつかり飛行機をやりすごすと、又、山に向って走った。目的の山につくと兵隊さんが居て「この山に入ってはならん」と云う。とにかく身を隠さねばならない崖をよじ登り竹薮にジーッとしゃがんでいて命拾いをした。空襲がやんで信号所に帰ろうと駅を見ると何にもないのにはたまげたの何のって、真黒い煙が立ち登っている。信号所の建物が立っていたのでやれやれと思った。そして夕方、幸枝がおはぎを持って来てくれたのはうれしかった。うまかった。食べる人が多くて一ツだけだった助かった。あの時の大きな籠とどんぶりはどうしたんかの、まさか食べはせんからの、誰か持って帰ったのだろう。あの爆撃の時防空壕にいたら皆と一緒に死んでいたろう」
悲しそうに話してくれた。
弟と同期に国鉄に入社して現在も一緒に仕事をしている山本の正一さんは、この日、西の号所に人手が足りず応援に振り出され空襲に合われた。ドドーンと爆弾の音と地響がしたので、信号所の壁に平行に爆風避がコンクリートで造ってあった。その陰に二階から飛び降りた。側で女の子が膝を怪我をして動けなくなり泣いている。コンクリートの陰に引きずり込もうと頭を出したとたん、何か頭に当たりジーンとした。それっきり意識が分らなくなってしまった。時間の経過は分らない。頭からざぶーんと水を浴びせられ気が付いた。二階の踊り場に防火用水の樽が用意してあったが、その樽が落ちたので命拾いをしたと笑っていた。気が付き無我夢中で逃げ出し、当りを見ると今津川沿いの桑田製材所の側の土手に立っていたと言う。そこで始めて女の子が気になったが、どうなったか分らない。可愛そうなことをした、と言っていた。
正一さんも鉄兜に穴が明き頭を四針ほど縫って十日ばかり入院していた。
後に正一さんが嫁をもらった時皆が行ったが岩国駅の爆撃の話しがたねだったと話していた。
戦争と云う殺戮がいかに多くの人々に、傷跡を残したことか•••••••••••••