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李禹煥ときゃりーと。

 今年の2月。
 兵庫県立美術館の李禹煥の回顧展に行くと、”インスタに投稿すれば先着〇名様まで展覧会のポスターが貰える”というキャンペーンを見かけた。
 「(会期も後半だったので)もう流石にポスターないですよね…?」
 と受付で聞くと、こういうのは言ってみるもんであっさりとポスターが貰えた。

 ただ、このポスター、めっちゃデカくて部屋が狭いために貼れない。
 狭い廊下に貼るには存在感が大きすぎるし、重くてマスキングテープがすぐ剥がれるし…で、せっかく貰ったのに貼っていない。
 めっちゃ持て余している。 

 そもそも李禹煥の作品ってリアルで見て”体験する””楽しむ”ものであって、ポスターとかポストカードとかをあんまり部屋に飾ろうという気にならない。
 展覧会の終わりの方に展示されてた、最近の絵画作品である”対話”シリーズも本当に生で観るべきものだと思ったので、帰りの物販でポストカードとかを見ようとも思わなかった。
 そんなやつが「タダやから」という理由でポスターを貰って帰ったのが間違いだった。なんて浅ましいんだろう。

 ということで、李禹煥や「もの派」に昔救われたことと、人生で少し悔やんでいる話を思い出したので書きます。

 学生の頃、隣の学部の「モダニズム論」みたいな名前の講義をとっていた。
 友人から面白い教授だと聞いて受講してみたが実際に面白く、他の授業に比べてその授業”は”真面目に出席していた。

 それは現代美術批評についての講義だった。
 ボードレールから始まってレリスやらグリーンバーグやら、あとマネやらデュシャンやらポロックやらの名前をなんとなく覚えているくらいで、今となっては何にも身についていない。
 「なんか面白いこと言ってたなあ」という記憶と「癒し声のおじさん教授やったなあ」という記憶しかない。

 印象に残っているのはその講義の最終課題が告げられたときだった。
 最終課題は「現在生きているアーティスト/美術批評家についてのレポートと発表」というもので、当時の僕は(めっちゃ難しいやんけ…)と考え込んでしまった。
 その学部の、その先生の教え子達はそんな美術批評なんかすぐ書けるのだろうが、図書館で適当に資料を漁ってツギハギ論文を作成しようとしていた僕にとっては、「存命の芸術家と批評家の資料・本って例えば誰の何?」とすぐに思い浮かばず、「今の美術誌を漁らなあかんのとちゃうか」「素人には難しいな」「もう単位落とした」、と一気に思考がネガティヴに飛躍していった。

 授業終わりに一人で先生に相談しに行くと、
 「そんな難しく考えることはないよ」
 「あなたの専攻が映画(と演劇)なら、その分野で存命の人はいくらでも思いつくだろうし、それで書いてもいいよ」
 そう言われたが、
 (専攻と全然違う分野の授業を受けてるのに、映画や演劇で書くのは「逃げ」でしかない)
 となぜか普段は一切やる気がないのに無駄なやる気を出してしまい、先生に再び尋ねた。
 「例えば現在存命のアーティストって誰ですか?」
 「こないだの年末の紅白は観た?」
 「はい?」
 「あのとき出てた、きゃりーぱみゅぱみゅの映像、あれは題材としていいんじゃないかなあ」
 (きゃりー?)
 何の冗談かと耳を疑って先生を見ると至って真面目な顔つきをしていた。

 で、結局きゃりーでは何も書けず(そもそもそんなに詳しくない)、「関根伸夫とか李禹煥とかは現在生きてる!”もの派”やったら余裕で書ける!」と”もの派”と授業の内容について絡めたレポートを書き、発表のときもそこそこ好評価を貰えて、単位も落とさずに済んだ。

 今もあの先生が”きゃりーぱみゅぱみゅ”と言った意味は解らない。
 なぶられただけかもしれないが、
 「もしもあのとき、”紅白のきゃりーぱみゅぱみゅ”から逃げずに書いてたら…」
 その後の人生が少し違ったんじゃないかと、これは本気で思う。
 
 だから”もの派”の作品を観ると、「あのとき単位取らせてくれてありがとう」という気持ちだけでなく、安直な方向に逃げてしまったことを思い出してしまい、わずかに苦味が走る。
 
 なんやかんや言うてますが、そんな思い出も吹き飛ばすくらい李禹煥の回顧展はよかったです。李禹煥の作品って遊び心ありますよね。 
 ポスターの引き取り手を探しています。
 転売するものではないので誰かに差し上げたい。

 最後に。
 「現在生きてるアーティストでレポートを」という課題。
 他の学生の発表も聞いていたはずだが、マニアックな美術の話か、自分が知らない現在の美術の話ばかり聞いていたからか、ほとんど記憶にない。
  
 覚えているのは当時存命だったゴダールを扱った発表(たしか『はなればなれに』についてだった)を聞いてなぜか、
 「この人めっちゃズルいな」
 と思ってしまったことと、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの存命メンバー、ジョン・ケイル(ルー・リードは亡くなった直後だった)を扱っているレポートのはずなのに、ほぼウォーホルについての話をしていた発表を聞いて、
 「めちゃくちゃズルしてるやん、ウォーホルについて発表するための抜け道使ってるやん…」
 と思ってしまった。
 自分から見て「ズルい」と思ったことしか覚えていない。
 反則した人(一方的に僕がそう思ってるだけで別に反則ではないが)の方が印象に残るって不思議ですね。

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