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寛解は幻想、健康は贅沢品

パニック障害がおおむね寛解したかも!と思った矢先に発作。人の期待や責任を背負った矢先に高熱!恥ずかしさを今日も抱えつつ。

中学1年生の頃から患っていたパニック障害が、ここ1年で劇的に良くなった。もちろん、症状が全く出ないわけではないが、呆気なく顔を合わせる頻度は減った。

中学生で不登校になったのも、ほとんどこれが理由で、毎日家を出る前にしんどくなってしまった。それに、行っても給食で必ずしんどい思いをした。

それが、実家を離れてから、まるっきり家で発作が出ることはなくなった。そうか、身近なところに原因があるものだな、と思った次第で、Noteにでも認めようか。と。

そんな矢先、幼い頃からよくしてくれている方から、鍋のお誘いがあった。特にパニックの心配もしていなかったから、薬も飲んでないし、頓服を持ってすらいなかった。

人の家で冷や汗をダラダラかき、座っていられなくなり、頭も混乱して、うまく受け答えができなかった。長年の付き合いなのに、ご飯を食べることもほとんどないから、病気のことも言っておらず、変に心配をかけさせて恥ずかしかった。

年に一度は、こういう思いをする。つまり、思い上がっては挫かれるという経験。

ともあれ、「寛解」という幻想について、雄弁にNoteに書くようなことがなくてよかったのかもしれない。(未来の自分が惨めになるから)

パニック障害との付き合いは長いもんで、パニック発作が出ている中でも、それなりに正常な判断はできるようになっていて、特に不具合なく帰宅することもできた。

そして、今、高熱を出している。(熱にうかされて書いてるのも、ちょっと恥ずかしい)
パニックとは何の関係もなく、ただの病気だ。28日くらいから体調に違和感を覚えてはいたものの、特に熱も出なかったので、ちょっとした喉の風邪だなと思ってしまっていた。

これからの学業、アルバイト、人との予定などを全部飛ばすことになる。飛んだ迷惑野郎。本当に情けなくて、恥ずかしい。

人より体は弱いし、生活力もないから、できる範囲で気をつけてはいたのに、なんと、半年に4回も40度近くの熱を出してしまっているらしい。体が弱いのに、熱に慣れてしまって、こうしてそれなりに平気な顔をして文章すら書けるようになってしまった。


ところで、こんな時に感じるのは、健康は贅沢だということだ。
いや、健康に伴う生活・活動全般のことかもしれない。

人並み以上の無理をすれば、必ず高熱を出して人に迷惑をかける。仲間と並走すれば、自分だけが斃れる。

このまま研究を続けるのも、就職するのも、好きな道を選べるような体ではないんだろうな、と思う。自分に見合った、自分の体に見合った道を選択せねば、ただの迷惑人になってしまう。

もっとも恐ろしく、恥入るべきことだと思う。
人並み以上の休息やら栄養が必要なこの体を使って、何かを頑張っているようではダメで、まずはまともに体重を増やすとか、うつやパニック障害の寛解を目指すとか、トラウマ治療に専念するとか、多分、そういう段階を踏まなければならないんだと思う。

健康な人と並走した気になっては、こうして自己嫌悪に陥ることすら恥ずかしい。

月並みな悩みだが、「普通」からスタートするってこんなに難しいのか。みんな、均して均して、それなりにやってるふうに見せて、陰でこうして寝込んでいることでしょう。

寛解の幻想を抱くことは、罪じゃないか。


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