当事者意識って何だろう
こんにちわ。
@osamu036110です。
noteで、ブログ記事を書いて、今回が51回目になります。
一応、効果測定をするボーダーラインの目安に、100回を設定しているので、ちょうど折り返しの記事になります。
「意見がある人いますか?」と言われて手を上げられない
学生時代、クラスでの対話、社会人になってミーティングの対話、進行役の先生・リーダーや司会者が、話を進めていく際によくある光景。
「何か、意見がある人いますか?」
参加者「・・・・・・・・・・・」
「はい、この話に特に意見がないようなので終わります」
こんな光景に参加されたことは、今まで何度か経験をしたことがあるのではないでしょうか。手を上げて、意見を言ってもしょうがないと思ってしまう
少なからず、わたしは、何度かそんな光景を観ていた。
「これって何だろうか?」と、学生の時から感じていたことだったけど、社会人になってからもたびたびあって、改めて何が起きているんだろうかと考察してみた。
先日、交差点で猫がはねられて死んでいた
去年の8月から、1日20個以上のゴミを拾うことを毎朝続けているんですが、先日その朝に、たまたま近所の交差点で、猫がはねられて死んでいた。
(※これはイメージ画像です)
両腕も、両足もまっすぐ伸びていて、このイメージ画像のような感じで死んでいた。少々、体が大きくて両手でかかえるとちょっと重いぐらいでした。
今まで、私が車に乗っているときに、通りすがりに猫がはねられて死んでいる状態の光景を車から見たり、はねられた後に踏まれて、見るにも見れないような状態になっているのを、通りすがりで、たびたび見る機会があった。
不思議なもので、翌日、同じ場所を通り過ぎると、誰かが猫の死体を片付けていて、跡形もなくなっている。血痕はあったりするが、ほぼ痕跡なく。
いつも誰がやっているんだろう、どんな気持ちになるんだろうか?と、翌日にきれいに無くなっている光景を見て感じていた。
何でも初めては緊張する
今回、わたしは毎朝ゴミを拾いなれているせいもあり、その死んだ猫を抱えて、近くの森に持っていき、スコップで穴を掘り、死んだ猫を埋葬した。
やってみて、初めて感じる何とも言えない体験をさせてもらった。
初めて死体を抱えたわけだが、思った以上に固まっていて体が硬かった。
伸びた両腕と両足がまったく曲げられずに、袋に入らない。
血の匂いが、生臭い独特の臭さがあって、おもいっきり鼻をついた。
朝だったが、通りすがりの車から、乗っている人におじぎをされた。
そんな時、わたしは何を感じたんだろうか?ふと思った。
まわりに特に賛同者がいなくても、やることって何だ。
「当事者意識って、こう言うことなのかな」と猫を埋葬して感じた。
当事者の気持ちは、経験しないとわからない
わたしは、月に数回シニアの方々に会う機会があり、シニアの方からことあるごとに、「健康」のありがたさについて、いつも話されている。
毎回、耳にタコができるぐらい、よく聞かされている。
そのシニアの方の中には、リウマチで関節が痛いので、なかなか長時間立っているのがつらいとか、癌を患っていて、いかにそれを回避するかということに、全力を注いでいる方もいたりで様々です。
すべて側から見てのことなので、シニアの方々の痛み、不安なども、当事者の気持ちにはなれないんです。本音の部分では、当事者として。
当事者の気持ちって、どこまでわかるんだろうか?という疑問。
しかし、あらゆることに、同感はできないけど、共感はするというスタンス
ブログを書き初めて良かったこと
noteでブログを書き始めて、良かったと感じることがあります。
それは、ブログを書いてる方の心のうちが、チラリと垣間見えることです。
つまり、全然知らない分野のことや人でも、当事者の本心が観えたりする。
心の描写が書かれていて、その時感じたことを深く考察されていたり、対面ではなかなか正面切って話すことができないようなことも、深く識る機会をブログでは観れるのかなと思います。いろいろなブログがありますが。
そして、世の中で起きているさまざまのこと、1つ1つのワンシーンが、私の人生であり、当事者として意味を持たせて、思うこともできるわけです。
私のブログを書く理由も、そこにあるわけです。
私自身の起きていることの考察を深めて、さらに、他の方に起きていることにも、当事者意識がめばえて、共感できるようにしたいです。
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