感情の抑圧に気づかない
こんにちわ。
@osamu036110です。
「喜怒哀楽」
自分の感情を素直に今まで感じてこれたのか?
自分の感情を素直に誰かへ今まで出せてこれたのか?
最近わかったことは、わたしが長年ペルソナの仮面をかぶっていたこと。
自分の感情をおし殺していた、その状態が長ければ長いほど見えなくなることがある。本当の自分では無い、誰かの影響でできた自分。
それは
「自分のやりたいことが分からない」
というおかしな現象になっているということ。
「〜したい」も「〜したくない」も、感情から出る行動だからです。
「してもよいこと」と「してはいけないこと」を、誰かの影響で、自分の中で無意識に判別して、自分の「したいこと」の感情をおし殺してしまう。
「してもよいこと」だけをするので、必ず、どこかでやりたくなくなる。
誰かの許可を得てやっている、誰かの顔色を見てやっている、すべて自分のやりたいから起きた行動では無いからです。
本当は、「したいこと」が別にあっても、ペルソナの仮面をかぶって演じているから、自分の本当にやりたいことは見えなづらくなっていく。
この原因は、何でしょうか?
まちがいなく、「環境」です。育った環境です。
幼少期に育った環境が、幼い時の自分の土台を作り上げているわけです。
学生になっても社会人になってもそれが続く
幼少期にできた自分の土台、物事を判断する基準ができ、その上に積み重ねをしていけば、自分はこういう人間だという認識が芽生えてくる。
少なからず、自分の得意なこと、自分の心地よい感覚、自分の特性など、相手が、親以外に増えていけばいくほど、こういう性格なのかなという自分が、なんとなく観えてくるし、そこを磨こうとしたりする。
しかし、自分のやりたいという「環境」から、自分の土台ができて、その上に積み上げていけば良いのだが、そうではない自分を作り上げた土台の上に積み上げるのでは、スタート時点で、すでに大きな間違いがあるわけです。
まわりが喜んでいるから、まわりがやってもいいという雰囲気だから、まわり、まわりが基本になったら、それは生きづらいし、やりたいことは見えない。当たり前の話であり、そうした現象がまわりでも顕著にあったりする。
「環境」の変化が自分を少しずつ変えていく
やはり、私にとっての転機は、20歳の時に沖縄へ移り住んだことです。
初めは小さな1歩で、ビクビクして、怖くて、どうなるのかもわからない1歩でしたが、わたしの人生の大きなページをその後刻んでいった。
今思うと、本当に沖縄におれは住んでいたのか?
今思うと、俺は本当にバイクで日本一周をしたのか?
今思うと、アメリカを本当に横断したのか?
今思うと、海外にトータルで2年間も住んでいたのか?
今思うと、外国人とシェアハウスで一緒に生活してたのか?
今思うと、今思うと、というわたしの体験が、不思議なくらい脳裏に呼び起こされる。ほんとうに俺がやったのかと、ふとした時によみがえる。
幼少期にできた土台は、なかなかくずれない
しかしながら、幼少期にできた土台は、私の沖縄体験を始め、海外に住んだり、それまでになかった経験、体験を繰り返してもくずれなかった。
それは、最近わかったことですが、親との幼少期の関係は、その後の人生であらゆる経験や環境を変えても、簡単には変えられないということ。
まずは、自分にできた土台としっかり向き合う。
なぜ、それができたのか?おそらく、そう簡単にわかることではない。
しかし、時間をかけてじっくり、ゆっくり観ていくことは、今から先の人生を考えると必要なことだと、自分の体が実験台、経験をした私がいえます。
まずは、素直にやりたい自分を感じていくことを大切にしたいものです。