自分軸でおきる不安、他人軸でおきる不安
こんにちわ。
@osamu036110です。
まわりから見て、どう思われているんだろうというのが常にあると、自由に自分の一歩は踏み出すことができなくなってしまう。
昔の私は、特にそうだったのかもしれない。少なからず、18歳までは、、
18歳ぐらいまでに、親の影響をすごく受けていると、よく聞くのが、
「俺って、ほんとうにやりたいことがないんだよね」
「こっちの方が、みんなやっているからあんぱいでしょう」
「なんでそんなことすんの、みんなやってないじゃん」
「たぶん、それやると親に言われるからやめたほうがいい」
そんなことを常に思って生活していた当時は、それが当たり前だし、何もおかしなことは一つもなく、それを信じて過ごすしかなかった。
偽りの他人軸の幸福が、正しいという判断しかなかったわけです、現実に。
心のどこかで常に違和感があった
そうはいっても、実家にいれば、ご飯もあるし、洗濯もしてもらえるし、毎日大きく困るようなことはない。生活の面だけ言えばそうであるし、感謝をしないといけない。いさせてもらっている感が強かった。
何か、自分が自分でない感覚がその環境にはあり、ここではないどこかへという想いが常に、心なしかあったのは事実です。
その当時あったのは、間違いなく「他人軸で起きている不安」です。
それを、「自分軸で起きる不安」に変えていく必要があった。
しかし、それを誰かが教えてくれるわけでもなく、手探りでも自分の思考を使って、最初の一歩を踏み出さないと、なんとなくのこの環境に埋没していくんでは?と、藁をもすがる思いで、小さな一歩を踏み出した。
自分軸で起きる不安というのは、良いことも悪いことも自己責任なのはもちろんですが、明らかに自己肯定感がないと、主体的な一歩はまず踏めない。
そんな自己肯定感、私も以前いた会社の社長に、日常の悩みなどを話したりするときに言われたのが、
「自己肯定感が足りないんだよ、おまえは自己肯定感がないよ!」
なんて言われるが、その原因がわからないから悩んでいるのに、理解されない。
今となれば、その原因が、なぜそういう気持ちになっていたのかが、正確にわかったからいいが、原因がわからなければ、おそらく他人軸で起きる不安のなかで、さいなまれて生きていかないといけなくなっていたと思う。
私の体験で言うと、必ず何らかの不安や悩みがあるのには、自分にはわからない、他人の影響によってできた原因が必ずあると思う。
それを理解しないで、その上に新しい考えやテクニックなどを積み重ねることは、何の解決にもなっていない。
他人軸で起きる不安から、自分軸で起きる不安へ