熊野旅行記(2012年3月)
2012年3月23日金曜日
熊野旅行記
久しぶりの書き込みです。
この3月19日から3泊4日にて和歌山県熊野地方の熊野古道を歩いてきました。
中世より由緒ある中辺路歩きです。
今回はツイッターを通して知り合った地元にお住まいのarahikiさんによる全面的な古道歩きお付き合い、3泊4日の宿泊提供とお食事、そして各種のお付き合い、車での白浜温泉や新宮、地元の歴史的な場所へ連れてくれたりなど、本当に何かと良くしてくれました。ネットで興味や関心、人柄などはおおむね相互に理解があったと思いますが、ここまでしていただいたのは本当にありがたく、ネットをやっていて、こういう素敵なことがあるんだな、としみじみ思った次第。
14年ほど前にも歩いているのですが、その後世界遺産となったこともあり、少々、世界遺産化に伴う変化が気になったりしたのですが、思った以上に変化がなく、もちろん中世・近代の「蟻の熊の詣」みたいなことまではないとは思いつつも、少しは人の歩く姿も目立っているかも、と心中、気をもんだりもしたのですが。幸い?歩いている人もほとんどなく、静かな自然のそれなりに険しい道は変わらないままでほっとしました。
むしろ二日目の近露というところから熊野本宮大社にかけて、あるいは中辺路古道の入口である滝尻あたりの、昨年9月の台風の爪痕がかなり痕跡を残していました。
初日の古道の入口からは、台風の爪あとは見えなかったのですが。。。
ひとり旅でなかったこともあるか、今回の古道歩きで膝が笑うようなことがあるかとの不安は特になく。ただ、むしろ古道の山歩きは下りのほうが辛い。普通の山歩きもそうでしょうが、帰宅して落ち着いたあとは、足のつま先が痛くなりましたね。靴擦れもできていた。
旅はarahikiさんと各所にある王子の解説などを読みながら、彼から地元の歴史や言い伝え等を聞きながら種々、二人の関心事項やその他を語り合いながらの気のおけない旅。
これもまた自然で良かった。
北海道民の開拓者の末裔の現代っ子(?)として生まれた自分には熊野のような歴史が重層的にあり、複層的な場所は本当に興味が尽きないのです。
日本の歴史の表舞台とは別の、非常に大事な裏舞台としてのヒントに満ちた場所のような気がしますし。(これは歴史を持たない旅人の勝手な思い込みかもしれません)。
近代においては大逆事件で事件の概要を知らずに連座を強いられた、いわゆる「新宮グループ」もあり、古代においては「隠国(こもりく)」と呼ばれた神話におけるイザナミノミコトがおこもりになった地でもあります。
そして現代において物語文学や、近代を超える文学を目指したこれまた重層的/複合的な生い立ちを自覚的に自ら背負った作家、中上健次を新宮市に生んだ土地です。
霊域と聖域。聖と俗が複雑に織り成す地を旅して来れたんじゃないかと勝手なロマンに浸ってきました。
最終日は作家、中上健次の生原稿のコピーを新宮市立図書館の資料室で見せてもらったり、もろもろ中上に関する貴重な話を資料室の人に伺うことが出来ました。事前に連絡していてくれ、適切に話を引き出してくれたarahikiさんには改めて感謝。
海のそばの露天に連れてくれた白浜温泉・崎の湯、説経節で有名な小栗判官が蘇生した峰の湯温泉、そんな事前の想像を越える場に連れてくれたり、旅の醍醐味を存分に味わせてくださった。
しかも経済的に。
旅で感じたこと、感じて思ったこと、それを文章化するのは今の時点で難しいです。
今後、この旅で感じたことは別の形で文章表現化されるかもしれません。
考えてみれば、今までもそういうものだったのかもしれない、と思っています。
一度に書ききる才能と体力がないんだなw。
最後に夜、あんなに綺麗な星空を見たことはまず記憶にもそうないと思う。
陳腐な表現ですが、結果的に癒しも含めた旅だったな、と思います。
以下、写真ですが、とりあえずまとめてアップします。写真の説明はおいおい書き加えていきたいと思っています。素人写真で申し訳ない。また、写真の拡張子の関係で携帯写真をUPしていますが、携帯のバッテリーがなくなってしまい、3日目以降の写真があげられません。ご容赦を。
(ブログより転載)