口を開けて待ってるだけじゃ見つからない!やりたいことの見つけ方。
この年になると若い子の相談が増えてくる。
一昔前に流行ったコトの中で「自分探しの旅」なんてことがあるくらい、現代の私たちは情報にあふれ、やろうと思ったことはできるような時代になった。
この時代に生きている私たちが悩むこと情報が溢れすぎていてできることが増え、何をやってもいいというような多様性の時代において自分のやりたいことが見つかりずらいことが原因であるような気がする。
しかし自分らしい人生をという風潮
そしてSNSの普及により自分とつながっている人がやっていることが必要以上にキラキラしているように見えるし、あたかも自分にもできると錯覚してしまう。
だから自分探しの旅をする人が増えたのかもしれない。
しかし自分探しの旅で自分を探した気になっている人は多い。
自分がやりたいことややり続けられることを見つける為には2段階のフェーズがあると考えている。
一つ目は情報を得ることによって選べる分母を増やすこと、二つ目は自分と向き合ってやりたいことを探すこと。
情報を得るために外の世界を見ることややったことをやってみることはやりたいことを見つける為には重要な要素であることは間違いないが、それだけではやりたいことは見つけられない。
まずやりたいことを見つけるために必要なことは、情報を得る、世の中にどんなことがあるかを知ることから始める必要がある。
例えば、小学生の頃の夢ってスポーツ選手や医師、保育士など認知があることがほとんどである。生活の中で振れていることがほとんどであり、知っていることに対して自分たちが見えているイメージによって夢としてあげている子供がほとんどである。
これは私たち大人も同じであり、大人になればなるほど、出会う人が増える傾向にあるし、インターネットやSNSを通じて知る機会が増える。
この知識ということがやりたいことの前提にあり、逆に言えばやりたいと思わないモノは知らないことかできないことという定義ができるのかもしれない。
情報社会である現代において情報が知識になった時にやってみたいという感情を持ち、その感情に従ってどうすればできるかを考えるようになる。
しかし、夢や目標に対してイメージはできるが現在地とつなげることが苦手な人が多く、夢や目標は叶えられないモノとしてとらえてしまう人が多いのも確かだと思う。
大切なことは夢や目標を明確にイメージすることと、現在地を理解すること、そしてそのギャップが何であるかを考えた上でそのギャップの内容に近づくこと、ギャップを埋めることに対して行動していかなければならない。
この行動を繰り返すことで必ず夢や目標は達成できるようになっている。
知識になったものを経験してもいて自分に合っている事だったり、自分が向いている事であれば自然と経験を増やすし、合わなかったり、不向きであれば経験することを減らしていくことは自然ではあると思う。
それを苦手だと勘違いしている人が多いことも事実だ。
しかし苦手というのは3種類に分けられるから注意が必要だ。
簡単に説明すると苦手とは「知らない」「経験値」「相性」によって意識するもので本当に苦手なモノは相性しかない。
自分が苦手だと思っているコトの2/3は苦手じゃない可能性があることに気が付いてほしい。
詳細は別の機会にでもまとめようと思う。
《できること=経験/知識》
当たり前だけど、自分が経験したことの中からしかできることは出てこないし、その「できること」の中からしか「やりたいこと」が出てこないのはごく当たり前のことである。
やりたいことが見つからない人は、そもそもできることが少ないのだろうし、できることが少ないという人は経験や知識が少ない可能性がある。
こんなことを言うと時間がないからとか、お金がないからという人が出てくるかもしれないが、それも知識さえあれば解決するだろうし、いきなり大きなことをやる必要なんてない。
アウトドアをやってみたい人が全ての道具を集めていきなり山に行く必要もなければ、登山をしてみたい人がいきなり富士山に行く必要もない。
自分の使える時間の中でできることからやればいい。
例えば、やりたいことに関係する動画おみるとか、ショップに行ってみるとか、家の庭や近くでやってみるとかスタートするときはいつだってスモールスタートだ。
それを経験し継続していくうちにやりたいことであった夢や目標に近づいていく。それを差し置いていきなり夢や目標のようなことにチャレンジしたってうまくいくわけがない。
私がバイクに乗りたいと思ったのだって目の前のできることから一つずつやっていったと思う。
はじめは安定する三輪車から始まり、補助輪付きの自転車になり、補助輪を外して自転車に乗れるようになった。
(今は補助輪を使わずにストライダーから自転車になる人もいるだろうけど・・・)
自転車を運転するたびに風を感じ、移動時間も移動距離も長くなることで喜びを感じバイクに興味を持つ。
はじめからバイクが乗りたい人なんて少ないと思う。
そしてバイクに乗り始めたらバイクの良さに気が付いて更にデカいバイクや自分好みのバイクにカスタマイズしようなんて始まる。
やりたいこととは一度決めて終わりではなく、そのやりたいことに近づけば近づくほど、解像度があがり更にやりたいことが増えていくことも自然の流れだと思う。
《やりたいこと<できること=経験/知識》
そしてここで注意が必要なことがあり、ほとんどの人がやりたいことは「名詞」だということだ。
例えば、山が欲しい、上場企業に勤めたい、経営者になりたい、年収1000万円欲しい、会社で偉くなりたい、成果を上げたい、人気のになりたい。
もちろん大切なことであるし、目標が明確っぽく見えることでエネルギーも出やすい。しかしその夢や目標を叶えた先にどうなっていたいのかが重要であり、名詞的な目標の立て方には必ず相手の評価が必要不可欠になり、短期的には爆発的なエネルギーが発生する反面、達成した後には脱力感や燃え尽き症候群になる可能性がある。
ミドルエイジクライシスという言葉もきっとそうだろう。
明確な目標ややるべきことに集中してしまい、本来自分のやりたいことを見失って行動し続けた人たちが一定数の成果をだせる40~50代に訪れる現代病。
これはかなり深刻な現代病であり、自分自身ではやりたいことをやり続けたのになぜ?という疑問が残るのかもしれないが、答えは明確である。
相手の評価があることが前提のやりたいことになってしまっているからだ。
相手の評価とはかなりの快楽物質であり、インターネットで世界とつながったことにより相手から評価されやすくなったことも要因の一つだと考えている。要は自分の行動に対して見返りを求めていてその見返りが評価であり、その評価が自分の想定を下回ることで脱力感や鬱、存在意義を感じるのではないだろうか。
そうならないためには夢や目標に対して「名詞」と「動詞」で分類わけすることが重要であり、短期的にエネルギーを出して軌道に乗せたいときや集中して結果を出したいときには名詞的な夢や目標が必要であり、スタートアップ時にはかなり有効な夢や目標設定になると考えている。
そして夢や目標に対して動き始めた時に改めて考えなければならないことは、動詞的な夢や目標設定である。
例えば、作品をつくり続けたい、人に伝え続けたい(反応がなくても)、思考していたい、整理したい、答えを出したいなど様々ある。
これらを達成するためのエネルギー自体は高くはないが長くやり続けることができる。
そんなことを言われても・・・という人に少しだけヒントを与えるとすれば、物心つく前後に熱中していたことは何だろうかを考えてほしい。
それが自分が人生の中でやり続けたいことの要素となっている。
子どもの頃は余計な知識もなく自分自身がやりたいと思ったことをひたすらやっていたにも拘らず、人からの評価の味を知ってしまった人は人から評価されることを無意識に選ぶようになっていく。
そしてすでに人が達成したことがあることが名詞として世の中に拡がるからこそ、そこことが自分のやりたいことだと勘違いしてしまうケースがほとんどだ。
それくらい人間は考えることが苦手だし、考えたくないと想っている。
相手に評価されるからやりたいと勘違いしていることは必ずエネルギーが落ち長続きしない。そして「好き」と「得意」は全く違うにも拘らず相手に褒められるからこそ、それが自分の好きだと勘違いしてします。
この勘違いに気が付かず何年も費やしてしまうと取り返しのつかないことになるし、その現象の一つがミドルエイジクライシスと呼ばれる現代病の要素だと考えている。
勘違いしたことを続ければ続けるほど、自分が窮屈になり苦しくなる。
進めば進むほど、苦しくなるのであればすぐにでも辞めたほうがいい。自分の人生を無駄にしている可能性が高いからだ。
「好き」と「得意」についても別の機会でお伝えするよ。
そして逆に言えば、やりたいことで生きていける時代になったし、続けやすい時代になった。昔の遊びも今であれば立派な仕事として成り立っている。
例えば、ゲームをやっているだけのライブやキャンプをしているだけの動画、おいしそうな料理を作るだけや食べるだけでも仕事として成り立つ。
この流れはさらに加速していくようにも感じる。
昔は遊びだったものが今では立派な仕事として認知される時代になった。
しかし、勘違いしてはいけないのは届けようと思って何かをやることでは、誰にも届かない。万が一、届いたとしても続かない。
自分が心からやりたいこと。相手の評価がなくても続けられるものをやりながら足跡を残すことが重要である。
とはいえ、お金がなければ生きていけないことも事実であり、認知が拡がっていかなければやりたいことができないという人もいるだろう。しかし上辺だけのやりたいことが相手に伝わって伝播するほど、現代人は甘くない。
与えられたやりたいことではなくて自分の内側から湧き出るやりたいことに目を向けたほうがいい。
人の評価を優先するということはお金を稼ぐにつながることであり、それはNo.1が存在する競争の仕方であることが多い。
そうなると負ける人が増える一方だ。人間が使える時間、可処分時間には限りがあり、便利なことや役に立つこと、過激なコトは他人にマネされて擦られて次第に薄くなっていき誰でもよくなる。そして生き残るのはNo.1だけの競争に参加していることになる。
そうではなくて「あなただから」をつくらなければならない。
すごく冷たい話をすると、世の中の全てのビジネスは情弱ビジネスであるという事実。これはビジネスの本質である「相手の問題解決」であり「購入してくれた人の人生をより良くする」ことが魂願にあるからだ。
しかし現代は順序が逆になっているようにも感じる。売ることが初めにあり、その先に相手に納得してもらうというような順番だ。
正直、ここにはかなりの違和感がある。
それはおあかねを稼がないと生きていけないという世の中の仕組みがそうさせているからであり、相手に評価されなければ価値はないというような風潮がそうさせる。
私の発信もそもそもは自分の頭の中の整理から始まっている。相手の評価や反応なんて関係なかった。しかしせっかくやるのであれば見つかる場所に置いておこう。それだけがスタートであった。
それでも続けられることは必ず日の目を浴びる。というか続けているうちに気づいてもらえるところや価値を見いだしてくれるレベルまでいっている。
私だって文章を書くことが苦手だったのにも関わらず今は評価されるようになった。人に伝えることが苦手だったが、それが仕事になった。
自分がやりたいことを見つける為には、知ることから始め、経験し、できるところまで持っていった中からしか「やりたいこと」は見つからない。
そしてそのやりたいことは焦らなくても見つかる。
だってそもそも自分の中にやりたいことはあるし、やっていたのだから。それを世の中の雑音でかき消され勘違いさせられているだけだ。
《やりたいこと<できること=経験/知識》
最後まで読んでいただいてありがとーござい「まつ」。
いかがだったでしょうか?
この投稿は私の人生で感じていた違和感を言語化、方程式にしたものです。
この考えが全てではなく、目に触れたみんなの考え方の一つとなることが一番嬉しいと考えてます!
そしてコメント欄はディスカッションの場所として考えており、こんなことも考えらるんじゃないか?それは違うよね!など思ったことや感じたことを投稿して頂けるとありがたいです。みんなが自分らしく生きていけるように!私の経験が少しでもみんなのプラスになれば!!そして同じところに違和感を持った人たちで意見交換しても楽しいかなって思って。
今後も一つのテーマを決めて発信していきますので1mmでも興味がある人は「スキ」「フォロー」「コメント」をお願いします。
でわでわ!まつでした。またね。