気付けるか気付けないかの違いとは

どうも!まつです。

まつの哲学を元に皆さんの選択肢が1つでも増えたらイイなと思う、まつの独り言投稿。

この提供は『今の建築業はやめたいwww』クオリティアール、まつしゃちょーの提供でお送りします。→https://linkfly.to/quality-res


今回の独り言は『気付けるか気付けないの違いとは』です。

結論から先にお伝えするとタイトルにあるように「気付けるか気付けないか」この差は意識したかどうか。
そして無意識下で意識しているかどうか

今回は私がふと感じてこのことを言語化できるとすごく面白いと思ったから言語化しようと思った。

私たちが社会に出てよく言われた言葉だし、よく聞くことだである『なんで気付かないの?』という言葉についてお伝えしたいと思います。
それはやっぱり生まれ持ったものという部分もあると思うけれどもほとんどの場合は後天的に身につけられる能力だと考えている。
俗にいう繊細さんという言い方ももしかしたら近いものがあるかもしれない。

突然ですが島田紳助さんってご存知ですか?
紳助さんが昔、おっしゃっていた言葉の一つの中で結構好きな言葉があって『意識するから知識になる』という言葉があり、正にそのとおりだと思ったので共有しますね。
紳助さんは昔、寿司職人になりたかった。だからお寿司屋さんに行けば魚の捌き方を意識するし、出て来るお寿司の形や皿、握り方、お店など様々なことに興味を持つ。
逆に興味がない人は食べるということにしか意識が向かない。

その他にもスーパーや魚屋に行った時、水族館でもそうかもしれないが魚の名前や大きさ、生態系なんかにも興味を持つかもしれない。

この差が知識になるか成らないかの違い。そう、意識できた時に初めて知識になるためのきっかけを掴むことができるという意味。

そして養老孟司さんの言葉『一度、意識したからこそ無意識下になり知識となる』
こんなニュアンスの言葉をおっしゃっていた。正直この言葉を聞いた時、全くもって意味がわからなかった。
だってそうじゃない?意識したのに無意識って矛盾してない??

でも説明を聞いたらめちゃくちゃ納得した。
それは島田紳助さんがおっしゃっていたことと本質的にはとても近いものがあるお思っていて紳助さんの例えを元に説明するとお寿司屋になりたいと「意識」した瞬間が絶対にある。しかし常にお寿司屋さんになりたいと考えているわけではないはず。
しかし「お寿司屋さん」に関連しそうなモノが身の回りに起きた時にそれがトリガーとなり無意識下が意識下に変わる。

これが養老さんのおっしゃっている意識したことを無意識下になって知識になる。
一度、意識したことをすっかり忘れていることってほとんどだと思うけれど、ふとした瞬間に閃いたり・繋がったりするのも同じようなことだと考えている。

本題に戻るが「気付けるか」「気付けないか」この違いは意識したことがあるかどうかの違いだと思う。ここで私がお伝えしている気付けるかどうかに才能はほとんど関係ないということが私の説明で理解していただけたでしょうか。

そしてなぜ気付けることが重要なのかというと気づくことによって成長が促進されることと気づけないことによって見放されていく可能性が大いにあるからだ。
今の時代、みんなが少しだけ余裕がなくなってきていていることに気づいている人ってどれくらいいますか?

そして自分が居やすい小さなコミュニティを作り始めているような気もする。それはここ数年で繋がりをつくらないと生きていけなくなっていることに気がつき始めたからだと思う。
そうなると気付けない人や合わない人を無意識に排除し始めるようなことが起こりかねない。
それはSNSがリアルに浸透してきているかのように・・・。

SNSって合わない人をブロックしたり、フォローを外したりすると思うんだけど、それがリアルでも起こり始めているような気がする。
正直、ここには根拠なんてない。私の肌感でお伝えしているので間違っているかもしれない。でも以前のように打ち合わせで直接会いに行くことも付き合いの飲み会も極端に減った。
だからこそ繋がっているということを自覚しずらくなってきている。ここにはいい面と悪い面があり、自分がどう捉えるかの違いしかないと思う。

だからこそ気付けるか気付けないかということがより一層重要になるのだと思う。


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