正論と正解の差とは
どうも!まつです。
早速始まりました。まつしゃちょーの独り言投稿。
この提供は『お家のことを一緒に考えたい』クオリティアール、まつしゃちょーの提供でお送りします。
今回の独り言は『正論と正解の差とは』について考えてみました。
正論という言葉に対して考えたことがある人はどれくらいいるだろうか。
私は事業やビジネスをおこないながら正論について、ずっと違和感を持っていた。そして今ビジネスをおこなっている人何割かは正論を振りかざすことにもなんとなくだが気づいた。正論を言っていれば間違いないと言わんばかりに・・・。
今回はこの正論について私なりにまとめてみたので是非読んで頂きたい。
(毎回、毎回、ぜひ読んで頂きたいのだが・・・w)
まず正論とは、道理にかなった正しい議論や主張とでてくる。
ここで重要な言葉は「道理」だ。では道理とは何か。それは、物事の正しいすじみち。また、人として行うべき正しい道。
人として正しい道。この言葉がカギになる。一般的に考えたときの正しさやそのことのみを聞いた時の過半数以上が正しいと思う言葉。
ここで更にもう一つの言葉を考えて頂きたい。それは「正解」。
正論と正解は果たして同じなのだろうか。私は別のものだと考えている。厳密にお伝えるるとまったく別だとは思っていない。
そして世の中の人の結構な割合で勘違いしていることが「正論」と「正解」を同じように考えているということだ。
先ほど正論については説明させて頂いたので省略させて頂くとして、正解とは、正しく解答すること。正しく解釈すること。また、その解答や解釈。「正解を出す」。結果的によかったと思われること。
同じような内容だと思うが正論と正解において最も違うことが【結果的によかった】と思われるかどうか。
「結果的によかったこと」と「正しいこと」は別のものだという認識はあるだろうか。言葉を因数分解していくと違いが分かってくるから日本語って面白い。
ちなみにだが過去に因数分解についてもまとめた記事があるので興味がある方はぜひ確認して頂きたい。タイトル『因数分解や細分化しているか』
この正論と正解についてわかりやすく簡単な例としてあげさせてもらうと、信号が赤になれば止まる。これは正論。しかし助手席に瀕死の人をのせていたら信号が赤だろうが車を進めると思う。ここで正論である赤だから止まろう。青になってから発信しようと思う人はほぼいないと思う。
上記のような状況だった場合、信号が赤だから止まろうは「正論」しかし正解は信号が赤だけど助手席の人を助けたいから信号無視をしよう。これが「正解」
世の中には正論は必要だが正論だけの世の中に私たち人間がいる意味があるのだろうか。そんな世の中でいいのであればIAとでも一緒に暮らしていればいい。
つまり正論とは、そのものの考え方やあり方でしかなく、正解とは、正論の考え方に現況や各々の感情が合わさったものだと言えるだろう。
正解の要素の一部に正論があると考えて頂けるとわかりやすいと思う。
そして人間って正論すぎる言葉はなかなか受け入れられないものだ。人間って人間の言葉を受け入れる時に一つ重要なことがあってその言葉に熱があるかどうかだと考えている。この言葉の熱は熱くても冷たくても構わないと思う。AIやロボットのように言葉に熱がないと受け入れられずらいのだと思う。
そして少し思い出してほしいのだが正論を言葉された後はどんな気持ちだろうか。少し寂しい気持ちにならないだろうか。
私はなることが多い。それは人間味がないからなのだと思う。
学校で授業を受けていて教科書の言葉って入ってこないようなニュアンスに似ているのかもしれない。IAではなく人間なのだから人間味ある言葉じゃないと受け入れられない。
そして夢を追いかける人に対して批判してしまう人は確率である正論をぶつけているだけで正解にはなっていない。
【正論は正論であって正解ではない】
だからこそこれからの時代、正論を学び正論について考えたうえで正解を導ける柔軟さが求められるのだと思う。
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