有吉佐和子の非色を読んだ
非色、色に非ず。つまりは色にとらわれないということ。
私は肌の色や置かれている立場で態度を変えないでいられるのだろうか。
文章の中に、「私をプエルトリコ人と一緒にするな」というセリフがある。
この言葉から、笑子は心のどこかで、態度には出さなくても自分よりも下の人種がいる。それよりはマシ。と思っていることがわかる。
私も、同じことを思ったことがある。
仕事が辛くてしんどい時、ふと駅の清掃をしている人を見て、でも清掃よりかはマシとか、と思ってしまったことがある。清掃だって立派な仕事だ。私たちが綺麗な駅やトイレを使えるのは清掃員のおかげなのだ。にもかかわらず、心のどこかで汚いものを片付けて汚れるし嫌な仕事だ。と思ってしまうのだ。
自分が1番不幸であることを認めたくないのかもしれない。
そんな思いと、人種差別に傷ついて苦労ばかりの笑子と旦那が自分たちよりも下の人種を見て安心している描写が重なった。
この本には、さまざまな差別が出てくる。
日本人から黒人への差別。
黒人からプエルトリコ人への差別。
白人によるイタリア人への差別。
アフリカ系エリートによる差別。
白人によるユダヤ人の差別
人種差別を解決することなんてできないのではないかと思った。
差別はなぜ起こるのか、その答えは本の中に書いてある。
「使う人間と、使われる人間がいること」だ。
人は色で差別をされるわけでは決してなく、差別は力を持った使う側と力がない使われる側で行われるのだ。
この本を読んで、私がこれからできることは特に思い浮かばなかった。
自分よりも下にこれからも安心してしまうし、使う人間と使われる人間は必ず現れ、私もどちらかに属さなければならない。
その中で、どう行動できるかなのかが差別をなくす第一歩なのかもしれない。