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憧れの天抜き(天ぬき)

テンヌキって何ですか――

ス『天抜きっていうのは、天ぷら蕎麦から蕎麦を取ったものの事』
コ『それじゃ、天ぷらじゃないですか』
ス『違うよ君。天ぷらはね、皿に盛った天ぷらを天つゆに付けて、からっとしたのを食べるの。天抜きはねぇ、丼に甘辛い蕎麦つゆがたっぷり入っていて、そこに天ぷらが浮いてるの。この味は蕎麦屋の天ぷらでなければ味わえないよ。あの甘辛いつゆをたっぷり吸ったぐずぐずになった衣、あれが酒に合うんだなぁ。まさに江戸の味だよ』

藤山新太郎著 東京堂出版「そもそもプロマジシャンというものは」

江戸の味かぁ、美味しそうだなぁ。ふと本から顔を上げると、自分でも意外なほどに、いかにも間抜けそうな声が出た。

今から10年ほど前の話だ――

僕は元々九州のど田舎の生まれだ。山の中の限界集落と言ってよいようなところで、それほど高くない山の麓から頂上に伸びる1本の道に沿ってポツポツと家が建っている。まともに食える産業などはなく、多くの住民は車で片道1時間ほどかけて地方都市に働きに行く。そんなところだ。

だから、子供の頃は外食などほとんどしたことがなかった。実家では毎日ほとんど同じ味付けの煮物と漬物ばかり食べていて、おやつは煮干しなどをかじっていることが多かった。

そんなわけで、大人になって自分の金でいろんなものが食べられるようになると嬉しくて仕方がなかった。特に20代の中盤に首都圏に出てきてからは色んなものを食べた。

と言っても当時の僕はマジシャンになる夢を抱えて田舎から出てきた若者だ。一応マジックの仕事はあったが収入は少なく、高級フレンチや豪華な中華のコースなどは食べられない。ラーメン屋や定食屋、安居酒屋に千円札を握りしめて行くだけだ。東京生まれのシティボーイには「なんだ、そんなものか」と鼻で笑われてしまいそうだ。

そんな僕が仕事の参考になるかと思って読んでいた本に出てきた”天抜き”なる食べ物。一体どんなものなのか。なんとなくイメージできるような気もするが、そのイメージもぼんやりしている。しかし、美味しそうだ。それに、本格的な蕎麦屋で”天抜き”なるつまみを頼み日本酒を飲むのは粋で格好いい感じがした。

ちなみに、この時読んでいたのは藤山新太郎というプロマジシャンの書いた『そもそもプロマジシャンというものは』という本だ。藤山氏は昭和から平成にかけてほぼ滅びかけていた和妻と呼ばれる日本の伝統的なマジックを現代でもエンターテイメントとして成立する形で蘇らせたマジック界の重鎮だ。で、この藤山氏が自身をモデルにしたスジ山という人物が若手マジシャンにプロマジシャンとはなんたるかを話すという架空の対話形式の本なのである。

なのであるが、この若手マジシャンとの対話が藤山氏が選んだ東京の名店で酒を飲みながら行われるのである。その舞台となるお店で出てくるつまみや料理がいちいち美味しそうで気になるのだ。その中でも強く印象に残ったのが”天抜き”だった。

僕は子供の頃ほとんど外食をしたことがなかったが、さらに僕の田舎はうどん文化の地域だったので蕎麦はテレビでしか見ない食べ物だった。それが大人になり、都会に出てきて初めて食べてみると、一発でハマってしまった。あくまで僕の好みだがうどんよりずっと良い。

と言っても、普段食べられるのはチェーンのいわゆる立ち食い(と言いながら椅子はある)蕎麦屋か、スーパーでなるべく安い乾麺を買ってきて自分で茹でたモノだけ。そば粉をつなぎに小麦粉をこねて作ったような、蕎麦だか、色のついた細いうどんだかわからないような代物だ。

だから、ごくたまに大きな仕事が入った時には、手打ちの蕎麦屋に行って天ぷらの付いたざる蕎麦、いわゆる天ざると日本酒を頼むのが、僕の中での最高の贅沢だった。

しかし、僕が行ったことのある蕎麦屋では天抜きなどというメニューは見たことがない。本には店は並木の藪と書かれている。いかにも由緒があって高そうなお店だ。この記事を書くに当たって検索してみたところなんとWikipediaにも記事があるほど由緒ある名店であった。

天抜きを食べてみたい。これで日本酒を飲んだらどんな気分だろう。そう思っても、こんな店に行く勇気はない。それからなんとなく(いつか天抜きを食べてみたい)という思いだけがずっとどこかに引っかかっていた。

そんなある日のことだった――

「天抜き、110円――あるんだ、こんなところに天抜きが」

イベントの打ち合わせを終え、今日はもう帰るだけという夕方。軽く夕食を食べて帰ろうと立ち寄った立ち食いそば屋にそれはあった。券売機の一番下。ビール、日本酒の横にいくつか並ぶつまみメニューの一つに間違いなく書かれている”天抜き”の文字。

僕は少しの戸惑いを感じながらも日本酒と天抜きの食券の買い、カウンターに向かった。

一体天抜きというのはどういうものなのだろう。ずっと想っていた相手だが、その姿を見たことはない。胸がドキドキするのは期待なのか不安なのか。ついに出てきたそれは少し深さのある皿に乗ったかき揚げだった。横に小さめの徳利のようなものが添えられている。

そうか、蕎麦つゆは自分で注ぐのか。かき揚げがひたひたに浸るまでつゆを注ぐ。天抜きはつゆがたっぷり入っているはずだ。甘辛いつゆをたっぷり吸ったぐずぐずになった衣が日本酒に合うのだ。だからこれで間違いないはずだ。

つゆをしっかり吸うようにしばし待ち、かけ揚げを一口サイズに切って口に含み、すかさず日本酒で追いかける。

「うまい!たしかにこれはうまい」

自分にしか聞こえない小さなつぶやきではあったが、思わずうまいという言葉が出た。しかし、がっついてはいけない。ゆっくりと味わってチビチビやる。そうでなければ粋でない。

天抜きと日本酒をたっぷり堪能した僕は〆の蕎麦のことも忘れ、ホワホワとした気持ちで店を出た。このホワホワとしたいい気持ちは日本酒の酔いのせいだろうか、それとも憧れの天抜きを食べた喜びだろうか。いずれにしても僕にはなんとも言えない満足感が残った。

あれから、10年ほどの時間が流れ、今の僕は並木の藪と呼ばれたあの店に行くくらいのお金は持っている。だけど、並木の藪で出てくる天抜きがどんなものなのか僕は未だに知らない。あの時僕が感じた満足感はきっと本物だから…

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