上海生まれの娘と僕は三角関係⑰
僕の娘は上海生まれ。
教育方針に戸惑いとすれ違い
小学校に通い始めると娘の成長は早い
社会に巻き込まれるように
子供は教育戦線に飲み込まれていく
中国の場合楽しいのは幼稚園までだ
小学校に入れば
一気に勉強に向き合う事になる
低学年はまだひどくないとはいえ
宿題はそこそこ増えて行く
英語、国語、算数の必須科目が中心で
他はおまけみたいな授業だ
3教科に対しては1日の時間割りで
2回3回と授業がある科目もある
教育こそが貧困を抜け出す唯一の手段として
農村部の親は一人っ子に対して巨額の投資で
教育に力を入れる
時折、そんな教育熱心な大人と
厳しすぎる環境の子供の対立は
ニュースになる
皆がそんな厳しい教育に
ついていける訳ではない
他に選択が少ないのが中国の
リアルな現実
勉強が苦手でも周りに負けじと
やるしかない
小学生低学年は
楽しい時期を過ごすものだと
僕は思っていた
僕の時代は
勉強した記憶のない低学年
毎日が楽しかった
中国の子供達は徐々に勉強の多さに
遊ぶ時間はなくなり
それが当たり前のようになる
毎週金曜日はテストがある
先生と親とはsnsで繋がりグループも作られ
娘が通う小学校はローカルの学校で
外人はいなかった
上海の小学校は5年制で全国でも珍しい
6年生になれば中学校に編入される
これは昔、人口が多い上海で
先生や教室が不足する事から
6年生になれば中学校の教室を使い
授業をうける体制が今も続いている
日本に戻れば勉強ドリルを買い
娘に渡していたけど
正直、日本から持ってきた教育関連の本を
見る余裕はなく日々が過ぎる
学校が3時に終わり家に帰り
少し休憩して晩御飯までに筆記の
3つの宿題を終わらす
晩御飯を食べ終わると両親が宿題の
答え合わせをする
その後は作文や暗記を寝るまでする
そんな感じで日常は繰り返される
必然的に我が子の教育に厳しくなる母親は増える
毎日夜、子供の勉強を丁寧に見れる父親は
少ないから母親が教育係を担当する家庭が多い
僕はもっと子供らしく
遊びながら教育すると思っていたけど
小学校から家に帰り外で遊ぶ子は少ない
宿題を終わらす為に外で遊ぶ暇がない
過熱していく周りの子供達に
自然と皆んな巻き込まれていく
中国の教育現場の状況を
僕は詳しく知らないから
あまり口も出せない
妻にしても変化の多い中国の政策や
今の教育に戸惑いもあるし
学校もドンドンアップデートして
変化のスピードも早い
話を聞きついていくのが大変だ
少しの宿題でも
大人のようにテキパキ集中し
効率を求め作業として進む訳じゃない
わからなければ、ずっと止まるし
集中力だって散漫になる
翌日、宿題をしていない生徒がいたら
先生は生徒だけでなく
親にメールや電話をして親を叱る
しかも昼3時頃 子供が帰る頃
先生の都合のタイミングで連絡が入る
こちらが仕事中とか関係ない
だから仕事中に学校から連絡が来て
先生と言い合いしてる風景は
中国では珍しくない
会社でも また先生から電話!と
慣れているが電話がよくなる事は
子供の成績がよくない事でもあり
会社でも少し恥ずかしい
子供の成績が上がらないのは
親の子に対する向き合い方の問題です!と
はっきり言われ責められる
ちゃんと宿題をさせ、答え合わせをし
親が監督する様に言われる
中国では先生は強く権威があり
成績が悪い自分の子の担任先生に
逆らえない親も多い
とはいえ中国らしく先生と親が
喧嘩になり白熱も起きる
親も先生を責めても結局は宿題をさぼる
我が子を攻める事になってしまう
成績が悪くては困るのは親だからだ
妻の劉さんも
その狭間で悩みが増えていく
どうしても厳しくなりやすく
キツくあたる時もでる
僕はそこまで厳しくする必要もあるの?と
何度か聞く事があり
劉さんは
どこに行っても今いる環境の中で
戦うしかないでしょ
という強い意志を話してくれた
母に怒られる娘を僕はフォローし
妻と僕の大きな役割が
家庭内で自然に形作られていく
上海によくある一般的な体制に嵌る
娘と妻は女性同士だから喧嘩しても
直ぐに仲直りしているし
やはり娘とママは母性で繋がってるし
劉さんも翌日は昨日を忘れたかの様に
笑って娘と接してる
僕も、時折
ママに反抗している娘に叱る時がある
しかし母親はとは違い
僕は不器用に怒り、次の日も引きずり
数日 娘と仲が悪くなる
ある日
妻の劉さんは
お父さんが常に起こったら
娘は父親を怖くなり
あなたを将来 避けるわよ・・・と
僕が怒る事をやめさせた
僕と娘の関係を崩さないように配慮
してくれた
妻にそう言われ僕は
何か心を突かれたようで
厳しい父親像を演じなければと
少なからず思ってたから
悪さをすれば怒って
たまには強く父親らしくと
思っていた
僕は妻の一言に救われた
妻は僕が怒る時は
本当に悪い事をした時だけでいいと
勉強の事で怒らなくていい
という話になった
妻と交代し勉強を全部見るか
妻の教育方針に口をださないか
中途半端にお互いが関与すると
よくないという僕ら家族の方針が
作られていった
以前に
厳しすぎるママに娘が可哀そうにみえ
そこまで怒らなくてもいいだろ
とママを止めた事があった
妻も いきなり怒るのでは無く
自分の中でレベルがあり
娘との細かな約束の連続で繋がっている
流れを知って怒れてない僕は
少しズレたようになる
子供の教育には夫婦により様々で
さらに子供の性格や能力や人間性も
踏まえ考える必要があり
上手くいく方程式は存在しない
自分たちで最適解を探すしかない
と教えられた
僕は妻のおかげで
頭の中の変な父親像を打ち消す事ができた
僕は娘と漫画の話やテレビの話を沢山して
父親より友達のように接しているかもしれない
僕から勉強の話は なるべく振らない
テストがあっても点数なんて聞く事を止め
友達と学校でどんな話をしたの?とか
嫌いな先生の話とかをしている
成績優秀な子になって欲しいとは
思うけど それは親の我がままだ
子供は親を見て育つ
という事も実感してしまう
僕は子供に言えるほど優秀ではない
テストの点数が悪ければ母親は怒るが
僕の役目は怒るのではなく
一緒に笑って
パパより頭いいじゃん!って
気持ちを切り替えてあげる事かなと
僕は そう思うようになっていた
その方法が正しいか間違いかは
わからないけど
それが僕にとっても自然で無理がない
そして
それが僕ら家族の形だった
劉さんが言うように
どこに行っても今いる環境の中で戦うしかない
この言葉は僕の心に強く刻まれた
娘だけじゃない
妻も戦っている
僕も中国で戦っているんだと
本当に嫌なら仕事も止めて違う世界に
妻と娘を連れて飛び出せばいい
そう簡単に思う僕は
この国の人間じゃないから言える思考だ
この国の本質を知っている
妻は初めから
この環境で戦う覚悟を決めていた
将来の事は誰にも わからないし
自分の時代と比較しても
今の中国の子は
教育の厳しい環境化で生きている
娘は他と比較するほど違う世界を知らない
この国生まれこの国で育ってきた
そう僕の娘は上海生まれ
教育方針に戸惑いとすれ違い
娘はパパが絵を描く横で
声を出しながら単語を暗記してる
可愛い声を聞きながら絵を描く僕は
それだけで幸せだった
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