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行間を読める、隠した表現を理解できるAIが進化した先にあるもの

一時期の言論統制がかなり激しくなっていたころから比べると、最近はかなり緩和されてきた気がする。

とはいえまだまだ動画プラットフォームによってはいくらでも削除対象になることもあるし、完全に緩和されたとは言い切れない。

あたりまえに使う言葉がNGとされる状態、異常だともいえる時代。

このような時には多くの言葉が刈られて、その言葉を発したらすぐにAIが反応し、動画が消されたり、通報されたりしてきた。

それに対して発信する側は通常では当たり前に使う言葉についても、隠語として別の言葉を使って回避することが出来ていた。

都合が悪い言葉については共通認識のある空間で「あれ」と指し示すことで、難を逃れてきた。

その表現方法については、ありとあらゆる場面で応用されている。

特に隠し事が多いときはなおさら。







昔から隠すということは、色々な場面で使われてきた。

それは言葉であったり、芸術であったり、行為であったり、信仰の対象であったり。

好きを伝えるために直接ではなく、それによってほのめかすことを読み取ることが美しいとされてきた。

月が綺麗ですね とか。

ある時は隠れキリシタンのように、シャコガイの模様をマリア像・キリストのように見立てることで難を逃れてきた。

取り締まる側としては、ただ貝を持っているようにしか見えない。

絵画の中の人物がある葉を持っていることで、殉教した人という意味を示すものもある。

普通の物語のように見えて、ある規則性を持って読むと別の主題が現れてくるもの。

謎の文章とされるものが、ある規則通りに読むとメッセージとして機能することもある。

まさにミステリーの世界ではよくあること。

狂歌を使って政権を批判することなど、昔の人も直接表現しないことによって逃れてきた。

文字通りに読んでも意味が分からないものが、別の音に変換して解釈するとしっかりとしたメッセージとして機能するものもある。

万が一問われたとしても、別の解釈を述べればよい。

人類はあらゆることを使って、間接的に未来へのメッセージを残している。

それは、一部の人しかわからないようにするため。

そこには言語力・表現力・想像力が総動員されることで初めてたどり着ける世界。









もしこの隠した表現・行間を読むことが技術発展により、AIでもできるようになったらどうなるか。

おそらくパターンを繰り返し深層学習をさせることによって、現在のAIでもある程度は読み解けるようになるだろう。

それによって、いずれ場合によっては文脈上の「あれ」という言葉さえも処罰や削除対象ということもありうるかもしれない。

それによってたどり着く世界は、隠された表現すらも許されない世界。

言葉が意味するところが異なっても、拡大解釈によって罰せられることもあるかもしれない。

もし実行されたら、なかなかすごいところまで行くことになると思う。

おそらくそれに対して隠したい側は、さらに独特なわかりにくい表現を使って、その解釈に捕まることを回避するようになる。

場合によっては誰にも読み取れない暗号化された別のシステムを構築した中に逃げ込むかもしれない。

あるいは、表現をさらに工夫してメッセージを残し、主張をする。

もしかしたら表現の種類をいくつも組み合わせることによって、解釈が複雑化するような仕組みにするのかもしれない。

もしかしたら、言葉でもなく、しぐさでもなく、音でもない、テレパシーのような何か特別なものを使うかもしれない。

そしてそれをさらに解釈して暴こうとするAIや新技術が登場する。

おそらくどこまで行ってもいたちごっこは続くのだろう。

そうすることによって、さらに表現は進化していく。

最終的には、頭の中で考えていること、その時に発せられているエネルギーが瞬間的・自動的にAIに暴かれるところまで。

それは思想統制の究極の形といえるのかもしれない、隠すことが全く出来ない世界。

倫理観による統制制御がない、技術の発展がどこまでもありうるのなら、たどり着いてしまうかもしれない世界。

それはあの「1984」の世界よりも凄まじいかもしれない。








「あれ」と言えば、「あれ」を指すことが文脈上一部の人には明確にわかること。

複数の解釈の中でも、より解釈されにくくされるものを作り出すこと。

物語の行間に潜む、本当に伝えたいこと。

もしかしたらすでに表れているのかもしれない新しい表現とメッセージ。

新しく創作し続ける「隠したい側」と、それをどこまでも解き明かして「暴きたい側」の物語は、まだまだ続く。










ありがとうございました。

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