私たちは「第3次世界大戦」の真っ只中にいるのかもしれない
戦争に関する報道が増えている。
ロシアとウクライナに始まり、イスラエルとパレスチナ、イエメンやイラク・イランなどにも飛び火している。
そしてニュースで報道されていないだけで、実は衝突になっているところもまだまだあるに違いない。
もしくは、元々紛争が続いていたところに対してたまたまニュースによって焦点が当てられ始めたのを戦争の開始と言っているに過ぎないのかもしれない。
そうなってくると、戦争の開始そのものの意味が変わってきてしまう。
いずれにせよ、戦争による破壊があちこちで続いているのは事実。
壊して壊されて、殺して殺されて、悲惨さがますます極まってきている。
多くの人にとって、現代は第2次世界大戦と第3次世界大戦の間という認識。
ただ、本当にそれでよいのかどうか個人的には疑問に思うところ。
そもそも世界大戦とするには、今の状態はすべてが戦っているわけではないので、大戦中とは言いにくいかもしれない。
イメージとしては「熱戦」のように、実際に物理的なドンパチが発生している状態になって始めて戦争という。
だが、実際のところどうなのか。
戦争という意味について、今一度考える必要がありそうな気がする。
というのも、戦争が熱戦だけに限らない時代だから。
戦争の意味。
それは、戦いであり、戦(いくさ)でもある。
そして武力によって主張を貫こうとして、国家同士が争う事。
物理的に戦うという意味では、確かに世界で同時に大きな戦いが発生しているようにはみえない。
だが、現代の戦争では戦法や手段など種類が多様化する。
目に見えない戦いは、常に発生している。
情報プロパガンダ戦、金融戦争、ハッキング戦争、見えないところで色々なことが起きている。
国を超えた企業同士の戦いや通貨の乱高下も、考えれば広義の戦争にあたる。
そして、相手への言葉の攻撃や、失脚を狙ったパフォーマンスなど含めて、すべてが国の勝利のために何らかの関係しているように感じる。
まさに人・物・食料・エネルギー・経済・情報・科学や生物兵器など、使えるものをすべて使う超限戦。
国家総動員で戦うという状態が、無意識のうちに当たり前になりつつある。
それぞれひとつひとつは戦いのように見えなくても、何らかの形で戦いに関係している。
子供が生まれなくて人口が減るということについても、ある意味では物理的な武器を用いない戦争に負けるという意味にも解釈出来てしまう。
というのも国の力が徐々にそがれていくことは、結果的に物理的な戦いが起きた場合での大きな不利になるから。
それだけ、多くの種類の戦争があるように感じる。
多様化した戦争全体のうち、多くの人はその一部のミクロ部分を認識しているに過ぎない。
より戦争をマクロに捉えると、そもそも戦争の発端となることは大きな構造含めて歴史を理解しておく必要がある。
そして歴史を使ってさかのぼっていくと、実は現代の様々な戦争は「冷戦構造」の歪、つまり冷戦がきっかけになっているものも多い。
となると、もしかしたら「冷戦」そのものが第3次世界大戦と考えてもいいのかもしれない。
それならば現代はおそらく、後の世から見る第3次世界大戦の真っ只中。
アメリカを中心とした覇権国と、ソ連(ロシア)・中国や第3極を中心とした国同士の戦い。
そうであるならば、まさに広い意味での世界大戦が長年継続して起きていたことになる。
そして気が付いたらより激しくなっていく、現在はその途上にあたるのかもしれない。
より激しく悲惨に、どこまでも続いていく。
どちらかが自制するつもりがあっても、ちょっとしたことがきっかけ、わずかな火花があるだけで大爆発を起こす火種が溢れている。
それだけ世界が歪で満ち溢れて、飽和してしまったということ。
この戦いが終わるのは、すべての飽和されつくした歪が完全に無くなるとき。
ただ悲観的に捉えるのではなく、次の時代に向けて今必要なことが起きていると考えればよいと感じる。
まずは何があっても落ち着いて、心を平和に過ごすことが出来れば。
何よりも、自分自身の心そのものが平和であれば、そこには平和が訪れるのだから。
ありがとうございました。