見出し画像

ツァラトゥストラかく語りき【読書感想】

君よ、大いなる星よ。いったい君の幸福もなにものであろうか、もし君にひかり照らす相手がいなかったならば。

 これは本書の冒頭にツァラトゥストラが言った言葉である。
 星も、人間も、人に何かを贈り与えることこそ、最大の生き甲斐なのだ。
 歌手はたくさんの人々に自分の歌を贈り与えている。youtuberはたくさんの人々に自分の動画を贈り与えている。自動車の工場で働いている人は直接的ではないもののピカピカの車を人々に贈り与えている。どの人間も人々に何かを贈り与えている。本書はそんなすべての贈り与える人々のための書だ。

見よ。わたしも自らの知恵に飽きた。贈りたい。分け与えたい。世の知者が再びおのれの無知に、貧者たちが再びおのれの豊かさに、気づいてよろこぶに至るまで。

 大人になるにつれて、子供の時のような新鮮さが世界に見られなくなる。自らの知恵に飽きるのだ。しかし、それを悲しむ必要はない。今度は僕たちが、その溢れんばかりに受け取った知恵を、みんなに分け与えてゆけばよい。今までたくさんの人からたくさんの贈り物をもらってきた。次は僕たちがそれを純粋無垢な子供たちに、困っている人々に、分け与える番だ。そして、贈り物を与えた人々と喜びを共有できたなら、飽き飽きした自らの知恵も再び活力を取り戻す。
 
 見よ。僕たちの体は年月を経てこんなに大きくなった。ただ意味もなく巨大化したわけではあるまい。僕たちは生み出し、贈り与えるために成長してきた。
 生み出すことは大変だ。赤子を生み出す母の苦労は計り知れない。自らと葛藤しながら大交響曲を作り出した作曲家の苦労は計り知れない。僕たちはその苦労を耐え乗り越えてゆくために食物を食い、動き、大きくなりながら、力を蓄えてきた。
 今こそ、その有り余るエネルギーを開放させる時だ。己の無知を知らぬ知者や自分の豊かさに気づかない貧者たちに、真の豊かさというものを伝えに行ったツァラトゥストラのように、僕たちが培ってきた力で、世界に贈り物を届けにいこう。



人間はたがいに敵対しつつ、像や幻影を発明していかねばならない。その像や幻影をたずさえて、よりはげしく対立しあい、最高の戦いをたたかわねばならない。

 ツァラトゥストラは現代に生きる我々とおなじような世界を生きたのかもしれない。世の中は事なかれ主義で、テレビをつけてみても当たり障りのないことをいう人ばかり。他局の人同士でさえも仲が良いらしい。
 昔は他局同士の人間の仲は険悪で、お互いが敵対していたと、ある放送作家が言っていた。ツァラトゥストラはむしろその状況をを歓迎している。お互いがはげしく対立し、唯一のものを作り出そうと戦いに挑むことで最高の作品は出来上がる。最高の戦いをしなければ、最高のものは生まれない。
 最近、芸人の過激な発言が話題になったが、ツァラトゥストラに言わせればその行動も理にかなっている。なぜなら彼は自分という存在に対し、一切妥協せず、相手とはげしく対立して高みを目指していったからだ。彼の、相手を軽蔑するような言動を批判する声も多く上がったが、そのような声に対し、ツァラトゥストラはこう語る。大いなる軽蔑を持つ者は大いなる尊敬を持つものだと。



善悪、貧富、貴賤、そしてあらゆる価値の名称、これは武器でなくてはならない。そして生がたえずみずからを克服して行かねばならないことを示す、その旗印でなくてはならない。

 人間は裕福な立場に置かれた人や、生まれ持った容姿や才能を持った人を羨む。そして、なぜ世界はこんなに不平等なのだろう。皆平等な才能を持っていたらいいのに。と世界の平等を願う。しかし、ツァラトゥストラはそのような平等を説く人間を毒ぐもだと軽蔑する。
 自分のコンプレックスや、生まれた瞬間から決まる立場の違い、そのすべてを世界と戦うための武器にせよとツァラトゥストラは言う。その武器でなければ切り開けない世界がある。その武器がなければ超えられないものがある。かつて極貧の状態から這い上がり天下を制した秀吉のように、妬み嫉み、心の底から湧き出る罵詈雑言を武器にして戦う芸人のように、自分の全てで、世界を、自分を、超えてゆけ。
 人間は乗り越えられねばならない何かなのだから。



今回読んだ本
フリードリヒ・W・ニーチェ「ツァラトゥストラかく語りき」佐々木中訳、河出文庫、2015年
https://amzn.to/4eSOJfJ

 
 




いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集