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OKB 13歳からのアート思考

美術教師、末永幸歩さんの書籍
セブンルールを見ている時に、内容が面白すぎて、番組を見ながら検索してみたら書籍を出版されていたのですぐに読んでみました。

そこから色々なことを考えました。

太字は著書の内容で
細字はオオツカの意見です。

「自分なりのものの見方・考え方」などとはほど多いところで物事の表面だけを撫でてわかった気になり、大事なことを素通りしてしまっている。そんな大人が大半なのではないかと思います。

ビジネスだろうと学問だろうと人生だろうとこうして「自分のものの見方」を持てる人こそが結果を出したり幸せを手にしたりしているのではないでしょうか?

「一般的」正解があふれていて、またSNS上にも権威ある方や実績を積んでいる方々が発信をしていて、すぐにたどり着ける。それは非常にありがたく「なに!今はそんなことになってるのか!?」という情報を教えてくれることもある。そして、そんな時に自分が分かった気になってしまってないか?おっとっと!と焦る自分もいる。

最新情報を知ることは必要な行動だが、それをどう使うのか?はたまた取り入れるのか?もしくは自分の興味や趣味だからなのかははっきりしておきたい。「それは自分のクライアントに必要なもの」ではなく「自分が使いたいから」という理由だとちぐはぐしてくる。

ただ個人的に、正解に触れるのに疲れてきた。というより、「正解」という言葉を使うと必ず近くに争いが起こってしまうから。
それは「相手の正解は自分にとって不正解!」だと思っている人が以外と多く、ネット上では攻撃的。

とくにトレーニングに置いて、○○なんて意味ない!やめろ!という意見もあがってくる。クライアントのため、正しいことを普及させるため、もろもろあると思うけども

ほとんどの場合、一般の人たちには中々届きにくい。なぜならその違いが判らないからだ。それでも啓蒙活動としてやっていく!

これが正しい
これはダメ
これをやっている人は信じない方がよいですよ
こういうのは○○で

という意見の多さにつかれる。
見なければいい?そう、見ないようにしているし、基本自分が発信する時以外ほとんど人の発信は見ていない。

なぜ距離をとりたくなるかというと

それは実際に対面でもそういう言葉を使いますか?
もし、知り合いにもそういう人がいた場合でもそういう言い方をしますか?
自分は実名、相手も実名、実際に会う事もないと思うからそういうきつい言い方をしていますか?

ということです。

野村監督の「言葉を持たない指導者は指導者ではない」という言葉を思い出すし、コーチと名乗っている以上非常に大切にしたい言葉の1つ。

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小学校から中学校の変化で「好きな教科」について調査したもの中で美術はなんと最も人気をなくす教科だろうです。
《学研教育総合研究所 中学生白書Web版 2017年8月》
https://www.gakken.co.jp/kyouikusouken/whitepaper/j201708/chapter7/01.html

へえ~と思ってみて見たら、2017年だけではなく2020年にも調査していました。https://www.gakken.co.jp/kyouikusouken/whitepaper/j202008/chapter8/01.html

末永さんが言うには
・評価基準がよくわからないまま低い定評を付けられたのが嫌
・自分の絵が上手くなくてとても恥ずかしい気持ちになった
・期末テスト前になったらいきなり美術史の授業がはじまり作品名の丸暗記をさせられた
という思いをした生徒がいて、こうした状況は依然と続いているということです。

ひょっとしたら体育も同じかもしれないなあと思いました。今の学校体育の点数の付け方はわかりませんが、知識を問う筆記や○○メートル投げたら何点、○○分で走れたら何点となっていて、成長期で発達が早い選手が有利な教科だなあ~と思っていました。

学期のはじめに測定をして、学期の終わりに測定をしてアップしていれば点数も高得点!とかしたら、評価基準も明瞭だし、みんながんばるだろうし、体育嫌い=大人になっても運動嫌いの人が少しは減るんじゃないかなと思いました。

昔によんだこの本にも「持久走で一番足が遅い生徒の脈を測ったら全力に近い強度で走ってた(うる覚え)」という記述があった。


アート思考とは「自分の内側にある興味をもとに自分のものの見方で世界をとらえ、自分なりの探求をし続けること」だといえるでしょう。

世界が変化する度にその都度「新たな正解」を見つけていくのはもはや不可能ですし、無意味でもあるのです。ここにさらに追い討ちをかけるのが「人生100年時代」です。私たちはこんな不透明な世界にこれから長きにわたって向き合っていかねばなりません。

もちろん大人も事情は変わりません。もはや「これさえやっておけば大丈夫!」「これこそが正解だ!」といえるような「正解」はほとんど期待し得ないからです。

そんな時代を生きることになる私たちは「『太陽』を見つける能力」だけではもう生きていけません。むしろ人生の様々な局面で「自分なりの『雲』をつくる力」が問われてくるはずです。

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大塚健吾(ツカさん)
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