スキコム編集長のひとりごと:アート、移住、公共
Katsurao Collectiveのスタッフとしてポッドキャストやテキスト記事を発信している「スキコム」に関する、ひとりごとシリーズ。個人の発信であり、所属組織の意見を代表するものではありません。
移住定住事業の一環としてアートの取り組みを実施していることを話すと、「アートなんかで移住定住なんて進むわけないじゃんw」みたいなお声をいただくことがままあります。私もその感覚には頷くところがあり、詳しくは過去に記事を書きました。そもそも日本全体の人口が減っていく中での奪い合いなわけだから、自治体の人口が増えた減ったで一喜一憂するマインドってどうなのよ、というのが主張のコアなところです。
それでも立場上、「アートで移住定住促進をめざしています」とか、もっとひどいとき(?)は「アートで地域を盛り上げる活動をしています」みたいなことを言ったり言われたりせざるをえない。正直、こういった状況に若干モヤモヤしていたのですが、今回喜多村さんとお話したことで、わりと移住とアートの組み合わせって悪くないかもしれないと思い直しました。
どういうことか。
葛尾村でのアーティストインレジデンスは、アーティストやクリエイターを”短期移住者”として地域に迎え入れ、活動のサポートを行っているという表現をよくします。移住事業だからそう言っているだけと思われるかもしれませんが、意外とこれがアーティストが地域に入るときのマインドセットにいい作用を及ぼしているような気がしています。
「文化事業で、地域に仕事としてアート活動をしに来ています」というのと、「短期移住者として地域で暮らしながら活動しています」というのとでは、後者のほうがより地域との距離が近いような印象を受ける。だから、喜多村さんがそうであったように、よそ者が混じったときの地域コミュニティに関する問題意識も出てきやすいのかもしれません。
実際に居住人口のおよそ3分の1程度を移住者が占める葛尾村において、移住者が地域のレジェンドたちから何を引き継ぎ、いかに新しい地域社会を形成していくのかということは、最も重要なポイントのひとつです。そこで必要になってくるのが、異なるバックグラウンドを抱える人々がいかに交わりコミュニケートしていくのかという、地域社会における公共論。1か月しか滞在期間がなかった中で喜多村さんが試みたアプローチは、かなりこの事業のコアの部分に関して深い問いを投げかけてくれているように思います。
まずは誰でもそこにいていいということ。役に立つとか立たないとかではなく。移住定住を促進するためにアートの取り組みをするということは、いろんな人がここにいていいよね、という公共の意識を醸成するところにその意義があるのかもしれません。