【教育】話を「聴く」ようにしたら子どもとの関係がよくなった
昨年度、育児休業を取っていたときのこと。
「話を聴く」ということについて、ある考え方に出会った。
確かに、同僚の相談に解決策を示して「あとは一人でやってね!」と終わりにすることがある。また、子どもの話を聞いていて、「それで、用件は何!?」と尋ねてしまうこともある。そうではなくて、同僚にも子どもにも、「ただ話を聞き、繋がっている」だけでよかったのかもしれない。
「必要な情報を抜き取り、解決策を与える」聞き方になってしまうのはどうしてだろうか。「ただ聴く」ことが難しいのはどうしてだろうか。
僕が考えるに、その理由は、聴く時間がないことに尽きるのかと思う。限られた時間のなかで効率的に仕事を進めようとするあまり、同僚との何気ない会話にまで目的意識をもつようになり、できるだけ短く終わらせるように考えてしまう。
子どもの悩みを聞いたときには、悩みに対して「こうしたらどうか」とアドバイスしたくなるし、「友達から嫌なことをされた」と言われたら、その相手を呼んで話し合って解決したくなる。
学校は「保護者に対する説明責任」を果たそうとするあまり、解決を急いでいることもあるだろうが、いずれにせよ、「ただ話を聴き、繋がっている」ことは結構難しい。
育休中だった僕は、「職場復帰したら東畑さんの話の聴き方を実践してみよう」とぼんやり思っていた。
*
今月のこと。
4時間目が終わったころ。どの学年も給食の準備をしているなか、2年生の男の子が廊下に立っていた。
どうしたのか気になって近くまでかけ寄ってみた。男の子の表情はすぐれず、下を向いている。聞いてみると、次のように話してくれた。
担任のときならば、相手の児童を呼んで、事実を確認して、謝らせようとしていたかもしれない。けれども、僕はいま、担任ではないので、今までとは違う対応をしてみようと思った。
①「話をそのまま聴き、気持ちに共感する」
こちら側の解釈は一切入れない。
②「話を聴いていて分からないことは質問する」
共感したいという気持ちがあったので、質問は次々と出てきた。
③「解決策を与えない」
「気持ちが落ち着いたら給食を食べよう!」とだけ言って、教室に送り出した。
**
次の日のこと。
その男の子は僕を見つけるなり、かけ寄ってきた。
どうやら、クラスを変えたいらしい。
さすがにそれはできないので、気持ちだけ受け止めて教室へ向かわせた。
その次の日のこと。
また男の子が近づいてきた。
早く高学年になって、僕の授業を受けたいとのこと。
そんな会話を楽しんで、さよならした。
その後も、職員室に訪ねてきたり、遠くから手を振っていたりする男の子。
もしかして、僕との距離が縮まっている?
ただ、話を聴いただけなのに。
問題も解決させていないのに。
東畑さんが言うように、「この人と繋がっているから、また相談しよう」と思ってもらえたのだろうか。
***
子どもに指導しないことは少し勇気がいるが、僕の実感としては、子どもの話を聴くだけでよかったことが多い。
例えば、担任不在で入ったそうじのとき。
女の子が僕に「男の子が腕をたたいてきた」と訴えてきた。
男の子は近くにいた。僕の顔を見て、ごにょごにょつぶやいてごまかしている。
以前の僕だったら、別室に連れて行き、二人から話を聞き、謝らせただろう。
女の子に「男の子と話してみる?」と聞いたところ、「別に大丈夫。痛くなかったし」とのこと。
話を聞いて欲しかったのだな、と思う。
こちらが先回りして問題解決を急ぐことも必要なかったりする。
それにしても、どうして余裕がなくっているのだろうか。
学校はもっとゆったり教師と子どもが関わった方がいい。
「話を聴く余裕」を取り戻しませんか?
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