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刀伊の入寇と自身との接点

NHKの大河ドラマ「光る君へ」で「刀伊の入寇」が扱われている。この件の詳細は書籍なりウキペディアに詳しく載っているので、主に自分との関わりにつき少し書きたい。「光る君へ」の中でこのことが取り上げられるのは、ユースケサンタマリアが演じる安部清明が道長に隆家のことを「将来お役に立つ人物となりましょう」と発言したことから予想していた。

1.刀伊とはどういう民族か
「刀伊の入寇」という言葉自体は多分高校の時に知ったと思う。当時世界史が好きで日本史への関心が殆どなく用語として知っていた程度である。実際の内容を知ったのはNHK-B「英雄達の選択」で取り上げられた時であった。何年前だったかの記憶がないが、最近大河ドラマに引っかけて再放送されていた。現在の日本史の教科書では脚注に書かれているのみ。また、「入寇」という用語は使われず「刀伊の来襲」に変わっている。

刀伊というのは民族名ではない(東夷という意味と推測されている)。民族としてツングース系の女真族(のうち東女真族)だというのが通説である。女真族といえば大方の人は金、清を起こした女真族のことを考えるだろう。日本との関連においては、渤海・・今の北朝鮮・中国・ロシアに跨がる国家で古代日本と交易があった・・もツングース系(女真族)だと考えられる。更に高句麗・百済もツングース系と比定されている(高句麗は恐らく違和感を持つ人はいないと思う。半島の南部にあった百済は意外かも知れない)。ついでに言えば、ツングースにはオロチョン族も含まれることからアイヌとの繋がりもありそうである。
【補足:ツングース系民族と語族】
アジアの国々で日本と昔から関係の深い国々のみ記載。ツングース系は
アルタイ語族に入っている。
○シナ・チベット語族・・タイ語、ミャンマー語を含む
注:シナ=中国とチベット語は同じ語族ではないという説あり
○アルタイ語族・・トルコ語、モンゴル、ウイグル語、満州語など
・トルコ語は突厥=チュルク由来
・歴史に登場する鮮卑、契丹はモンゴル系と言われる
・女真などのツングース系が入る
○インド・ヨーロッパ語族・・現イラン、インド、アフガニスタンなど
ペルシア語、サンスクリット語、ヒンディー語などを含む。尚、インド南部はドラヴィダ語族で別系統。

他の語族を見たい方は以下を参照(山川『詳説世界史B』より転載)。

日本語と朝鮮語はどこにも属さない。ウラル語族は、嘗てウラル・アルタイ語族として括られ恰もアジア系として扱われていた。今は欧州系にするのが妥当である(フィンランド、ハンガリー、エストニアなど)。
尚、古代史に登場する匈奴・フン族は未解明、或いは混合集団である。

2.自身のとの繋がり①・・博多~太宰府
物心が付いてから中一の途中まで、福岡市の中心街(天神)と太宰府の中程にある現春日市に住んでいた。従って「刀伊の入寇」の防御拠点で出てくる太宰府近くの水城(みずき)、大野城など懐かしい名である。水城は「白村江の戦い」で唐・新羅軍に日本軍が負けたことにより防衛のために天智天皇が築いた古城で日本書紀にも出てくる。

また、刀伊来襲時の博多に「警固所」という防御施設があった。西鉄天神駅そばにある「警固神社」の名もこれがルーツである。残念ながら、警固神社のある警固公園は「福岡のトー横」と最近言われているらしい。

警固神社の位置

<オマケ>
上の図にある「渡辺通り」は福岡市民なら知らない人はいない目抜き通りである。呉服商の渡辺與八郎にちなむ名前である。渡辺家は後に不動産業を営んでおり、その御曹司が会社(現メガバンク)の同期にいた。数年東京で勤めた(銀行→大手不動産会社で修行?していた)後、福岡に戻ったが、残念ながら早世した。以下が今の企業名。
https://kamiyosangyo.jp/

太宰府天満宮の近くに「都府楼前駅」という西鉄の駅があり、これも懐かしい名前である。都府楼とは大宰府政庁跡のことである。元号『令和』所縁の地である坂本八幡宮の最寄り駅であることから、「令和の里」という副駅名がついている。

3.自分との繋がり②・・肥後の菊池氏
父は熊本県菊池市の出身である。嘗ての肥後の中心は熊本市ではなく菊池市のエリアであった。菊池といえば、太平記でお馴染みの中世の九州の大豪族「菊池氏」の本拠である。菊池氏は「刀伊の入寇」における言わば総大将であった藤原隆家の末裔、或いは、隆家と共に戦った大宰少弐、後に対馬守となった藤原政則の末裔と言われる。

因みに、父の生家は菊池市隈府である。加藤清正が来るまでは熊本ではなく隈本であり、その中心=府が隈府という意味。隈府には菊池氏を祀った菊池神社があり、菊池武時(第12代)、武重(第13代)、及び武光(第15代)が主祭神である。足利尊氏が九州に落ち延びた後、京都へ東上することを可能とした有名な「多々良浜の戦い」において敗れた南朝方の主将は菊池武敏で菊池武時の九男、菊池武重の弟である。注:隈府は「わいふ」と読む
(多々良浜は現在の福岡市東区の多々良町付近にある)

菊池武光の銅像

西郷隆盛は色々名前を変更し、その中に南西諸島の流罪時に名乗った「菊池源吾」がある。西郷家が菊池氏の流れを汲む家系だからである。愛加那との間にもうけた子女の名に全て「菊」をつけたのもその故と言われる。
(西郷菊次郎、 西郷菊草、 大山菊子)

「刀伊の入寇」の際、活躍した武士は九州武士団と呼ばれ、平氏の流れを汲むものが多かった(松浦党は源氏の流れ)。西郷にいた薩摩の島津氏は一般に桓武平氏と言われ源頼朝の頃はから頭角する。しかし、上記の九州武士団の一派の末裔ともされている。

ということで「刀伊の入寇」は自身との繋がりがそれなりにある。日本史の教科書において脚注に名前が出て来る程度なので、藤原隆家の人物像を含めて容を知る人は嘗てあまり居なかったはず。そういう意味でNHK「英雄達の選択」は参考になる番組である。時折、トンチンカンな発言をするゲストが出るのが玉に瑕か?最近は観ることが少なくなったので可能な限り観ようかと思っている。磯田尚史さんのアシスタントが杉浦友紀アナ→浅田春奈アナに変わっていることを本文を書く際に初めて知った。

刀伊の入寇の地理は以下が最も参考になる。福岡にいたころ、夏の臨海学校は志賀島であった。博多の築港(ちくこう)から船いくため、左手に能古島を観ながらの鮒旅となる。
https://guides.lib.kyushu-u.ac.jp/c.php?g=774990&p=5559318

タイトル画像は「刀剣ワールド」Webサイトより

蛇足:
「元寇」と同じように「刀伊の入寇」で対馬と壱岐の住人は酷い目にあっている。以前も少し書いたが、福岡県の人は壱岐・対馬は(長崎県ではなく)自県という感覚を持っていると思う。


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