【村上春樹】初期作品はドッペルゲンガー小説である。また本について語りました#5
気が向いた時に、サンキチ君という友達とやっている、「本について語るシリーズ」
今回は、「鼠三部作」と呼ばれている村上春樹の初期作品『風の歌を聴け』、『1973年のピンボール 』、『羊をめぐる冒険』についてまとめて語りました。
これら作品について、「ぱっと見て分かる全体像」を提供するのが、この記事の目的です。ひとことで言い切れば、「人格の分離と再統合を経て、人が成熟する物語」です。それを無理やり絵にするとこんな感じです。
以下、記事にて補足説明をしようと思います。
まず、鼠三部作にて登場する「鼠」は主人公「僕」のドッペルゲンガーであると読むことができます。諸々の根拠や、本記事の内容に関しましてはは、以下の記事や動画の中で語っています。
この作品群は、構成やストーリーの流れなど、非常に謎が多いとされていますが、「種明かしが分かりにくいドッペルゲンガー小説」として読むと、多くの謎が氷解します。動画の中では、古典的なドッペルゲンガー小説のいくつかの触れ、その中での『鼠三部作』の位置づけを考察し、そのテーマに踏み込んでいる(つもり)です。
ドッペルゲンガー小説は、一般に、抑圧された無意識が別人格として遊離し、何かと災厄をもたらす、というストーリーになっていますが、『鼠三部作』は見事にそのセオリーに則っています。もう少し詳しく語れば、
1:分身が誕生し、
2:主人公はその分身と交流する。
3:やがて分身と別離し、
4:分身が行方不明になる。
5:行方不明になった分身がトラブルを持ち込み、
6:主人公はその解決のために分身を捜索する。
7:分身と再会(対決)し、
8:分身(もしくは主人公)が死ぬ
という過程を、鼠三部作は見事になぞっている、ということができます。
これらの過程を、各作品ごとに分けると以下のようになります。
分身の誕生と交流:『風の歌を聴け』
分身との別離:『1973年のピンボール 』
分身の捜索と再会と死:『羊をめぐる冒険』
こうした過程は、人格の成熟過程そのもの、と読むことができます。自分の内部にいる説明不能な自分を、より高次の自分として統合していく様子そのものだからです。このあたりは、河合隼雄著『ユング心理学入門』に詳しいです。この記事は、これくらいにしておこうかな。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?