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カセット・テープに十曲、コンピレーション・アルバムを作る(日本の名曲)

A面
ポスターカラー
太陽にほえろ!のメインテーマ
微笑みがえし
俺は悪くない
ルシアン・ヒルの上で

B面
人間はもう終わりだ!
FANTASISTA
童貞ソー・ヤング
君はロックを聴かない
パズル

■コンピレーション・アルバム 日本の名曲
今回は日本の名曲がコンセプト、普段、聴いているバンドやアーティストは外すという条件で並べてみました。二曲のインストゥルメンタルを入れてアクセントを付けました。それらがA面に二曲、できたらA面とB面にそれぞれ一曲を置きたかったですが発表された順に並べたかったのでそれを優先、付随して一曲目が静かな曲になってしまったので一旦は断ち切るような役割を一方のインストゥルメンタルは担っています。好きな曲についてあれこれと考え文章にしてみると根底には忌野清志郎やエレファントカシマシがあることを再確認させられました。それらを絡めた文章が半分を超えるくらいになっています。インストゥルメンタルもそうですが歌謡曲が一曲、それも良好なアクセントになっています。意外な名曲を絡めたのでテンションも上がります。喜怒哀楽は平均的、何か一つに絞ってみるのも面白いかもしれません。全十曲、どうしてもあと一曲が浮かばなかったですがなんとか揃いました。その曲が最後に配置、それに相応しい再出発の曲で曲名が示すように最後にはまったそれみたいになって良かったです。インストゥルメンタルが二曲も入っているので佐野元春の「Cafe Bofemia」を手本にしました。結果、そのような清々しいコンピレーション・アルバムになりました。

「ポスターカラー」
「ポスターカラー」は1972年に発表された古井戸の楽曲、アルバム「オレンジ色のすけっち」に収められています。古井戸はメイン・ヴォーカルの加奈崎芳太郎と後にRCサクセション等で活躍する仲井戸麗市(チャボ)によるフォーク・デュオ、代表曲は「さなえちゃん」です。チャボが歌う曲以外で「ポスターカラー」が一番、好きです。曲名となるポスターカラー、馴染みのないものですが歌詞から察すると絵の具みたいなものらしいです。この曲の作詞作曲はチャボ、デザイン・スクールに通っていただけあってチャボらしいチョイスです。失恋の歌と言ってしまえば普通になってしまいますが喪失感に置き換えると重みがあります。交わした会話、相手から発せられた言葉があちこちに散らばっているのが特徴の歌詞、とりとめのないそれらはやがて消えてしまう宿命で喪失感に説得力を与えています。なんだか、溜息混じりにタバコの煙を吐いている情景が浮かぶ曲でもありますが溜息も煙も消えてしまうものでこれもまた、個人的には無意識に刷り込まれているのかもしれません。歌詞にはタバコも溜息も出てきませんが、下駄や畳替えといった言葉が出てきて時代を感じられます。それらもまた、現代では失われた事柄で意図せず喪失感を与える結果になりました。夏の終わりをダイレクトに示す歌詞は常套手段かもしれませんが徹底して喪失感を印象付けた曲、ポスターカラー自体、使えば失くなるものですが相手の似顔絵を描いて残すことも可能、でも、それも消えてしまうことも「さなえちゃん」で想像させられます。

「太陽にほえろ!のメインテーマ」
「太陽にほえろ!のメインテーマ」はそのままドラマの主題歌、インストゥルメンタルで作曲は大野克夫になります。エレキ・ギター、トランペット、エレクトーンのソロを中心におよそ二分の曲です。同世代、それ以上の世代には馴染みの曲、若い世代でも知られていると思いますが、とにかく、カッコ良い曲です。ドラマが放送されていた時はありがたみがありませんでしたが、結局、サウンド・トラックを購入しました。夕焼けを見ると思い出す曲の一つ、尾崎豊の「十七歳の地図」、スティーヴィー・ワンダーの「ステイ・ゴールド」に並ぶわたしの夕焼けソングです。自動車を運転している際に燃えるような夕焼けを見るとこの曲を思い出してテンションが上がります。正義感を誘導する作用もありますが、一度、失敗したことがありました。その際は夕焼けが出ている時間ではなかったですが警察車両を遠くの方で発見、なにやら不穏で事件があったような気配をわたしは感じとりました。頭の中はこの曲でいっぱいになっていて何かあれば協力をするつもりで意気込んで自動車を運転していました。やがて、白バイがわたしを脇道に誘導、待っていましたと思いながら窓ガラスを開けて勢いよく何かあったかを尋ねたら予想もしないことをお巡りさんに告げられました。「スピード違反です。」と耳を疑うセリフに言葉を失いました。

「微笑みがえし」
「微笑みがえし」は1978年にキャンディーズが発表したシングル曲です。小学校低学年の頃のヒット曲、解散の知らせはなんとなく知っていましたが当時は引っかかりもしない曲でした。大人になってキャンディーズを知る上の世代の人から素晴らしさを聞かされ感化された曲です。明るい曲、でも、別れの曲という組み合わせが斬新、背景には解散があってファンとの別れを掛け合わせているのが粋な計らいです。切ないのはおかしくて涙が出そうという歌詞、嘘や強がりが涙を誘う歌詞です。調べると自身らの曲は六曲ほど関与、特に忘れた頃に見つかるハートのエースを青春の思い出に例えるのが印象的、何年経っても年下の人、優しい悪魔と住み慣れた部屋、それらもおかしくて涙が出そうになります。キャンディーズはアイドルですが調べるとコメディエンヌと表記、思い出すとバラエティ番組でドリフターズと絡んでいた記憶、元気いっぱいのイメージ、それもまた、曲に表れています。ファンとの別れでもありますが三人は別々になることも三叉路という言葉で示しているのも見逃せません。春を迎える時期の解散とシングル曲の発表も大きな事柄、就職を控えている大学生はきっとお洒落とは言えない素朴なアパートで同じような体験をしているはず、春は終わりと始まりが重なることを再確認させられる曲です。

「俺は悪くない」
「俺は悪くない」はアルバム「DANGER 」に収められている曲、どくとる梅津バンド&清志郎が1982年に発表しました。フリー・ジャズを中心としたユニット、忌野清志郎が数曲、ヴォーカルを担当していてこの曲はインストゥルメンタルです。タイトルが示すようにその際の気持ちや気分を的確に表した曲、坂本龍一の「メリー・クリスマス・ミスター・ローレンス」をイメージしていただくと良いかと思います。でも、癒されもする「メリー・クリスマス・ミスター・ローレンス」、一方、「俺は悪くない」はその要素は皆無、絶望的、抗うことも無駄で諦めてしまっているようなムードさえも感じられます。例えるなら無実の罪で投獄、無期懲役、あるいは死刑宣告、そのくらいのレベルであります。ことが複雑で言い表すのが困難だったり、誤解からトラブルになったり、様々なことから俺は悪くないと思うこともしばしば、元を辿ると良心が災いしてトラブルになってしまったなんてこともありましたが、「俺は悪くない」は救いはありません。逆にこの曲以上の絶望ではないと思って納得することも可能かもしれません。また、的確に表現されたことに救われることを望みたいですが、なるべく心にゆとりがある時に聴いていただくことをお薦めします。だから、アルバム・タイトルが「DANGER」なのかもしれません。

「ルシアン・ヒルの上で」
「ルシアン・ヒルの上で」はレッド・ウォーリアーズが1987年に発表したシングル曲です。バラエティ番組で活躍するダイヤモンド☆ユカイが在籍しているのがレッド・ウォーリアーズです。レッド・ツェッペリンの影響を滲ませているバンドですがこの曲も該当、ところが調べてみるとママス&パパスやホリーズの影響と記されていました。確かにママス&パパス風のアコースティック・ギターが感じられます。作詞作曲は木暮武彦(シャケ)、センチメンタルな歌詞やメロディ、ギターの響きは当時のシャケの私生活を連想させて切ないですが合わせてドラマチックな曲でアクターとしての魅力を存分に発揮しているダイヤモンド☆ユカイの歌声でもあります。センチメンタルなハード・ロックで美しい曲、異国情緒も滲ませていて良好なアクセントになっています。アメリカにある実在する場所らしいですが調べるとロシア民謡のようだと表記されていました。レッド・ウォーリアーズの曲は外国のどこか知らない場所を空想させますがこの曲は代表例、付随して何よりも自分自身の夢を優先しがちなシャケの人生哲学を垣間見るような曲です。年齢を重ね大分変わったと思いますがテレビ番組では家族を大切にしている様子を見て微笑ましかったです。

「人間はもう終わりだ!」
「人間はもう終わりだ!」は2001年に発表された真心ブラザーズのシングル曲です。作詞作曲はYO-KINGで本人が歌っています。痛烈なタイトルですが、やはり、吐き捨てるように乱暴に歌われています。もちろん、ロック・サウンド、相性が抜群というよりもこれしかありません。元々はフォーク・デュオでスタートした真心ブラザーズなので新宿西口広場で行われたフォーク・ゲリラの精神は刷り込まれていたとは思いますが連日のニュースはこの曲を思い浮かべるのに充分です。この曲が好きですがこのような曲が存在しない世の中を望んでいます。真心ブラザーズは1989年にデビュー、印象としてはRCサクセションや忌野清志郎の影響や精神を滲ませるフォーク・デュオでした。歌声はキヨシローと重なることはありませんでしたがキヨシローの歌声が独特なのでそれは当然だったのかもしれません。でも、フォーク・シンガーの誰かの影響は感じられました。エレファントカシマシが好きなのはRCサクセションやキヨシローの影響や精神を感じられたからです。同様に真心ブラザーズもそのような理由から好感触、言わば、正しい影響の受け方をしているそれらです。何が正しいかそうでないかはなんとなくの印象、でも、「人間はもう終わりだ!」はダイレクトにそれを示しています。

「FANTASISTA 」
「FANTASISTA 」は2002年に発表されたDragon Ashのシングル曲、2002年FIFAワールド・カップのテーマソングです。激しく興奮させられたのになんだか後ろめたい気持ちにさせられる曲です。つまり、犯罪に手を染めているような感じです。ラップやヒップホップが苦手という自覚からそのような気分にさせられているのだと思います。例えが非常に好ましくないですが違法な薬物に関わっているような感じです。もちろん、無関係ですが実際に関わっている人はこのような感じなのでは?意図せず音楽フェスティバルでこの曲を聴いた時の強い興奮と背徳感はこれまでなかった独特の気分で動揺しました。この曲がワールド・カップのテーマソングというのは軽い違和感があります。ても、これはギャップがもたらす効果と思っています。「FANTASISTA 」と似たような曲を列挙するとローリング・ストーンズの「アンダーカヴァー・オブ・ザ・ナイト」、アパルトヘイトに反対する人たちの「サン・シティ」、エレファントカシマシの「ガストロンジャー」、これらは興奮しますが背徳感はありません。好きなのに後ろめたい気分、この先、そのような気持ちにさせられる曲は表れないと思います。

「童貞ソー・ヤング」
「童貞ソー・ヤング」は2002年に発表されたGOING  STEADY のシングル曲です。俳優としても活躍する峯田和伸が在籍していたバンドがGOING  STEADY 、ヴォーカル担当の本人がもちろん歌っています。彼女が欲しかったあの頃を思い出さずにはいられない曲です。恥ずかしい行為をティッシュで包むようにオブラートに表現、文学的と言っても良いくらいの歌詞でした。遥か昔のことで懐かしいですがかつての当事者である自身には切実な事柄で昔のこととは言え随分と励みになった曲です。リリース当初、三十歳を超えていても感動したくらいだったので当事者である高校生は相当、励みになったのではないでしょうか?振り返れば恋ではなくて性欲、美化して愛と言い聞かせていた自分自身が痛いです。物欲しげで時に想いを伝えても拒絶、屈辱を噛みしめながら自身で行う行為は惨め、憐れ、無様、それを誇れという峯田和伸は尊く誠実で心に響きました。仮に峯田和伸と同世代だったとして十代、二十代の時に聴いていたら盲目的に支持していたと思います。影響を受けやすい性格、その自覚、そのようなことを考えるとわたしにはエレファントカシマシがいて良かったと思います。公然で全裸になる勇気は自身にはありません。でも、それらの勇気や情熱には応えたいので「童貞ソー・ヤング」が好きになれることを誇りにしたいと思います。

「君はロックを聴かない」
「君はロックを聴かない」は2017年にリリースされたあいみょんのメジャー三枚目のシングル曲です。美化はされていますがわたし自身のことを歌っているのが「君はロックを聴かない」です。手に取って見たかのように的確に表現されていて嬉しかったです。更に狂喜させられたのは世代も性別も正反対の女の子だったことです。レコードを聴いていた世代、音楽を聴くことに対して強いこだわりがあった立場からすると最高のプレゼントを我が子から貰ったような気分、趣味とは言えずっと音楽を聴いてきて良かったと思う曲です。彼女が欲しいけど受け入れてくれる材料がなかったあの頃、アピールできるものとして音楽が好きだということを全面に押し出していた痛いわたしでありました。具体例を挙げるとエレファントカシマシが好きになれる感受性、理解されるはずもなく、才能がありながら売れないエレファントカシマシと彼女ができない自分自身を重ね合わせていました。エレファントカシマシの「珍奇男」が好きなのはそのような理由ですがこの曲はレコードではなくてCDで今も聴いています。

「パズル」
「パズル」は成田昭次の曲、2022年に発表されたミニ・アルバム「犬も歩けば棒に当たる」に収録されています。後にRockon Social Clubという名義で歌われていますがほとんど男闘呼組の曲と言っても良いかもしれません。作詞作曲、プロデュース等はJUN SKY WALKER(S)の寺岡呼人です。デビューからのエレファントカシマシのファン、そのような立場からすると男闘呼組もJUN SKY WALKER(S)も快く思っていなかったのが当時の率直な気持ちです。これは同性同世代にありがちな異性に好まれる同性同世代のアイドルへの嫉妬や妬みもあります。とは言え、両バンドは解散、活動休止、特に成田昭次は後に引退、表舞台から去ってしまったのは辛い現実を突きつけられた寂しさがありました。「パズル」は成田昭次の挫折や後悔を示しています。付随してテレビ出演での振る舞いは慎ましくて誠実でした。ナイフのように尖っていたあの頃の欠片もなかった成田昭次でありましたが欠片であったのも確かで男闘呼組の四人が揃う姿はまさに完成したパズルのように嬉しかったです。成田昭次の栄光、挫折、沈黙、復活が示された感動の物語が「パズル」、快く思っていなかったことで尚更、感動させられました。また、復活、再出発を望んでいたファンの温かい声援、快く迎える姿も素晴らしかったです。パズルは四ピースではなくて1000ピース等もあるようにファンも含めて一枚の写真になることも確認しました。



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