「一日」をテーマに十曲
夜明けのうた
狂った朝日
太陽の白い粉
トランジスタ・ラジオ
風が強い日
十七歳の地図
早く帰ろう
球根栽培の唄(ときわ荘にて録音)
ミッドナイト・ブギ
夜が終わる
■「一日」をテーマに十曲
外せなかったのは宮本浩次の「夜明けのうた」、そして、ミッシェル・ガン・エレファントの「夜が終わる」この二曲は時間的にほんの数分、もしかして数十秒くらいの差、でも、これだと睡眠時間がないと思いながらも選曲を止められず残りの八曲を加えて「一日」を十曲で表してみました。実にしっくりとくる並び、時間の移行や変化はほぼ順番通りにしたつもりですが多少の前後は許容範囲、何よりも楽しく選曲ができて文章も書けたのが嬉しいです。詳細は朝の曲が「夜明けのうた」、「狂った朝日」、朝と昼が「太陽の白い粉」、昼下がりが「トランジスタ・ラジオ」、「風が強い日」、夕方が「十七歳の地図」、夜が早く帰ろう」、夜と真夜中が「球根栽培の唄(ときわ荘にて録音)」、「ミッドナイト・ブギ」、「夜が終わる」になります。およそ、一バンドあるいは一アーティストにつき一曲という条件、参考にしたのはエレファントカシマシの「浮世の夢」、このアルバムも、およそ、一日を表していますが季節は春、今回、選んだ曲はあまり季節を感じられないですが真夏や真冬ではないような気がします。再三になりますが実に楽しくできたのでお薦めのテーマです。
「夜明けのうた」
「夜明けのうた」はエレファントカシマシの宮本浩次(宮本)が2020年に発表したファースト・アルバム「宮本、独歩。」の収録曲です。2020年代の始まりの年に宮本のソロ活動が本格的にスタート、それを印象付ける曲が「夜明けのうた」、一日の始まりを歌うことでソロ活動の始まりを一層、際立たせることにもなりましたが予期せぬ緊急事態宣言も加わって、ある種、ドラマ性を呼び寄せる展開に奇跡的なものも感じられます。歌詞は事態を把握、動揺や不安、哀しみを和らげ尚且つ希望に繋がる歌詞で驚かされます。影響を受けやすい性格なので緊急事態宣言を前向きに受け止めて家に居る時間を有意義に過ごすことが出来ました。何をしたかと言うと今こうしているように文章を書くことでした。これは現在も楽しみながら継続していて振り返ると緊急事態宣言、宮本のソロ活動に関わるアルバム、楽曲は現在の自分自身に与えた影響は大きかったです。転機は何が幸いするか分からない、そのようなことも考えさせられましたが緊急事態宣言期間中は早起きをすることも多くてベランダから夜明けを見ることも多かったです。歌詞にもあるように新しい自分に出会えたような清々しい気分になりました。
「狂った朝日」
「狂った朝日」は1991年に発表されたブランキー・ジェット・シティのファースト・アルバム「Red Guitar And The Truth」の収録曲です。感性の鋭さを瞬時に理解できる曲タイトル、そして、期待に応える演奏及び歌詞、この曲を初めて聴いたのは三宅裕司のイカすバンド天国でした。圧倒的だったのは曲だけではなくバンド名も、また、三人の振る舞いや佇まいも自信が溢れ次元の違いを見せつけていました。ブランキー・ジェット・シティを知るきっかけの曲なので印象深い曲、付随して他の出演したバンドに同じ名古屋出身者がいて少年のような笑顔で興味を示す浅井健一(ベンジー)も印象的でした。「狂った朝日」」の歌詞は仮定、生まれてこなかった場合の愛用しているギターやブーツ、愛した恋人の行方を気にかけている歌詞、自分自身が存在しなかった場合のことを歌詞にするセンスも独特で素晴らしいです。後にこの曲が収録された先のアルバムがリリース、プロデューサーはJEREMY GREEN 、おそらく会話は通訳を介してのやりとり、歌詞も充分な理解はされていないのかもしれませんがブランキー・ジェット・シティとの不一致は否定できません。もしも日本人だったらという仮定、それも考えさせられるアルバムです。
「太陽の白い粉」
「太陽の白い粉」は1999年に発表されたゆらゆら帝国のミニ・アルバムのオープニング・ナンバー及びアルバム・タイトル曲です。積極的な打撃の数や破壊力のあるそれで勝利をもぎ取るボクシングも見応えがありますが、防御に徹して相手のスタミナを奪い勝利を手繰り寄せるボクシングも面白いです。「太陽の白い粉」はある種、防御力な曲ですが冷静な判断や技巧的な側面を覗かせています。例えるならモハメド・アリと対戦したアントニオ猪木を連想させられます。ゆらゆら帝国にしては穏やかな曲で意表を突かれますが曲タイトルに粉を選ぶのはゆらゆら帝国らしいです。粉は蝶が撒き散らす鱗粉を連想させられます。春の始まりを知るのは幼い頃だと蝶を見かけたとき、この曲にノスタルジィを感じるのはそのあたりに要因があるのかもしれません。雨が止み快晴、また、冬から春へ季節の変動を滲ませながらも朝から昼へ移る感じ、そして、喜怒哀楽で示すと哀しみから喜びへ移行する感じがこの曲の魅力、加えてゆっくりと太陽が東から西へ、何から何までシンクロするように全てが同じ速度で各々の目的地点へ足並みを揃え進んで行く感じが気持ち良いです。抜群の相性を示すゆらゆら帝国の三人、加えてサポートするミュージシャンの演奏にも同じことが言えそうです。
「トランジスタ・ラジオ」
「トランジスタ・ラジオ」はRCサクセションが1980年に発表したシングル曲です。居眠りばかりしていると目が小さくなるという歌詞、加えてあくびばかりしていると口が大きくなるという発想が面白いですがキヨシローの特徴のある歌声、ある意味、ふざけたようなそれも加わり絶妙なユーモアになっています。それに誘導されて、彼女、股ぐら広げている時と不謹慎にも破廉恥なことを口ずさんでいたことがありました(笑)。自身に限ったことではないと思いますがロックを聴くようになるタイミングと異性への興味が一段と増すのはほぼ同時期、「トランジスタ・ラジオ」はそれらの異なる想いを見事に絡めて曲にしています。合わせて自由や開放感への憧れ、授業をサボって屋上でタバコを吸うという行為、加えて洋楽がラジオから流れるというシチュエーションが素晴らしいです。実際、影響を受けて行動に移した不真面目な同性も多いと思いますがそのような人たちが「パパの歌」のように今では昼間は輝いていると思うと微笑ましいです。「トランジスタ・ラジオ」は「雨上がりの夜空に」に並ぶRCサクセションの代表作ですが昼と夜で正反対、でも、歌詞にラジオという共通項、そのようなことを言えば「スローバラード」もそうですがキヨシローは異性と音楽を絡ませるパターンがやはり多いです。これらは無意識にキヨシローに惹かれる要因になっていたのかもしれませんがあいみょんの「君はロックを聴かない」は具体的に示した曲、それに通じる「トランジスタ・ラジオ」です。
「風が強い日」
「風が強い日」はストリート・スライダーズが1987年に発表したアルバム「BAD INFLUENCE 」の収録曲、後にシングルとしてリリースされた曲でアルバムではクロージング・ナンバーです。ある対象物と対峙、長い時間、過剰に眺めているハリーを見たことがあると実に納得、加えてインタビュー中の沈黙の長さもそうですが「風が強い日」はハリーの性格や人間性、あるいは行動パターン等が滲み出ている曲です。例えば瓶から溢れる蜂蜜みたいにゆっくりな曲調、それに連動して歌詞は穏やか、昼食後、眠くなる心地良さを再現したような曲です。加えてギターのイントロが印象的で初めて聴いた際は頭上にクエッション・マークが浮かぶような感じでインパクトがありました。例えるならジャニス・ジョプリンの「サマー・タイム」を連想します。シングルでのリリースに伴うプロモーション・ビデオも曲調と一致、青空に浮かぶ雲がゆっくりと移動するようなカメラワークです。マイペースという言葉が相応しい曲でもありますが後の解散となる要因も理解できそうです。とは言え、結果的に再結成、解散から再始動までの道のりは「風が強い日」のプロモーション・ビデオみたいでもありました。
「十七歳の地図」
「十七歳の地図」は1983年に発表された尾崎豊のファースト・アルバム「十七歳の地図」の収録曲及びアルバム・タイトル曲、後にシングルとしてリリースされた尾崎豊の代表曲の一つです。同アルバムに朝の曲として「ハイスクールRock ‘n’Roll」があって、夜の曲に「15の夜」、そして、夕暮れの曲は「十七歳の地図」、つまり、学生時代の一日を表しているアルバムです。再度、確認すると「はじまりさえ歌えない」は昼間の曲、尾崎豊のアルバイト経験が元になっているらしいです。名盤という位置付けもこのあたりも関係があるのかもしれませんが、名盤を納得しているのにも関わらず現在ではほとんど聴かない「十七歳の地図」ですが自身が十七歳の時に最も聴いたアルバムの一つが本作、付随してタイトル曲です。歩道橋の上で見る夕日というシチュエーションが鮮烈です。夕焼けを見ればその時の気持ちの状態に誘導されていくつかの夕焼けに纏わる曲が浮かびますがけっこうな確率で「十七歳の地図」が浮かんできます。無意識、それだけにこの曲が与えた影響は大きかったことを確認します。因みに自身は愛煙家、きっかけは「十七歳の地図」だったことも確かですがタバコを吸う度にこの曲が浮かんでくるとは限りません。
「早く帰ろう」
「早く帰ろう」は1992年に発表されたSION のオリジナル・アルバム「蛍」の収録曲です。お笑い芸人の苦労話、特に若手時代の貧乏話をよく耳にするようになりました。お笑い芸人に限定しなければ個人的にはSIONが最初、SION の初期の曲には経済的な貧しさがダイレクトに示されています。「早く帰ろう」は歌詞から察すると結婚式があった帰りの電車、SION はすっかり疲れ果てた様子、早く帰って眠りたい、一人になりたい、ビールを飲みながらテレビを見たい、そのようなことを最早、朗読みたいに呟くように歌っています。自分自身も二十代の頃、結婚式に出席した帰りの電車で疲れとは別に同じような心理が働いたことがありました。内心に関係なく二人を祝福する結婚式、自分自身が置かれている状況と無関係に祝福を伝えるのが祝い事です。それにひきかえこの俺は、あるドラマのセリフのように「早く帰ろう」の背景には屈折した心理がぼんやりと表れています。歌詞にはかつての知人が登場、男は満員電車に我慢ができずに採用が決まった会社の書類をゴミ箱に捨てたとされています。満員電車の我慢を選んだ自分自身、それは心の狭さや貧しさに繋がったのかもしれません。
「球根栽培の唄(ときわ荘にて録音)」
「球根栽培の唄(ときわ荘にて録音)」は1983年に発表された森田童子の六枚目のオリジナル・アルバム「狼少年 wolf boy 」の収録曲、尚、このアルバムを最後に森田童子は引退します。球根栽培とは爆弾製造の意味、歌詞もモデルガン改造、赤いヘルメット等を選び緊張感を誘導、学生運動と密接な関係を示す森田童子ですがここまで具体的なのは珍しくて鮮烈な曲になっています。夜毎の自部屋の情熱は報われなかったことを風に舞うガリ版刷りのアジビラという表現で察することができます。結果的に犠牲者を出さずに良かったと安心するかと言えばそうではなくて聴く側からするとこれまでの自分自身の報われなかったことを再度、確認させられることになります。おそらく、学生運動や森田童子に意識が向くのは報われない魂や精神、つまり、自分自身の人生を振り返りいくつかの水の泡となった努力や忍耐や情熱、良心等を掘り起こすことに繋がるからだと思います。美しくて癒される森田童子の曲ですが日常的に聴くことをしないのはそのような思い出したくないことと関係があるからなのかもしれません。一方では報われなかったそれらを美化したいという意識も否定できないです。報われない魂と精神、やましいですが引退後の森田童子の人生は消極的なイメージ、そのほうが美しいのでそうであってほしいという気持ちとせめて引退後くらいは明るい森田童子であってほしいという矛盾した気持ちがあります。加えて球根だったチューリップ、それが彩るような日常を否定しそうな森田童子です。一貫していた哀しい曲の数々は頑なに幸せを拒んでいるようで切ないです。
「ミッドナイト・ブギ」
「ミッドナイト・ブギ」は1991年に発表された麗蘭の楽曲、ファースト・アルバムのオープニング・ナンバーです。シチュエーションは真夜中の公園、二人で遊具で遊んでいる様子が描かれています。後に数々の名盤を列挙する展開へ、この感触はロックに目覚め、貪るようにレコードやCDを聴き、音楽雑誌やガイドブックを夜更けまで読んでいた頃のことを思い出されます。翌日の学校や仕事の煩わしさは一旦、置いといて平日の自由な時間を有意義に過ごしていたことが懐かしいです。ため息が漏れる学校や舌打ちを繰り返す仕事も環境等の変化に伴い楽しいと感じられることもあります。学校だったら席替えやクラス替え、仕事だったら人事異動、人間関係が好転することも珍しくはないでしょう。麗蘭は新しい友達や仲間ができた時のワクワク感を思い出されますが結成当初の麗蘭は特に如実、元々は一時的でアルバムは作る予定はなかったはず、思いの他、楽しくて止められないままファースト・アルバムが発表されたイメージがあります。ファースト・アルバムは楽しいという感情が溢れていて特に蘭丸の笑顔が新鮮、やはり、ジャングル・ジムやブランコで遊んでいる様子は想像し難いですが親しみやすいイメージへ好転した蘭丸でした。
「夜が終わる」
「夜が終わる」はミッシェル・ガン・エレファントが2003年に発表したアルバム「SABRINA NO HEAVEN 」の収録曲及びクロージング・ナンバーです。アルバムはラスト・アルバム、前作のアルバムにもヴァージョン違いが収録されていてタイトルは「NIGHT IS OVER 」です。両曲、インストゥルメンタルの曲で「NIGHT IS OVER 」はいくらか前向きに感じられますが「夜が終わる」はいくらか感傷的に感じられます。両曲どちらも何度聴いても朝が始まるようには聴こえず、タイトルそのままを表していて単純に凄いと思います。あの頃のミッシェル・ガン・エレファントは解散を印象付ける曲がいくつかあってその一曲になるのが「夜が終わる」、つまり、解散の感傷や無念よりも歌詞のないインストゥルメンタルで夜が終わることを見事に表したことに大変、感心しました。歌詞のないジャズやクラシックはいくらでもありそうですがロックとなると非常にレアケースです。インストゥルメンタル、言い換えれば無言、明確な解散理由は示さなかったので筋道も通っていて納得、冷静に解散と向き合っていたミッシェル・ガン・エレファントでした。