生活
思い返せば、人生で何かを
継続してできたことがあっただろうか。
日々の大切な習慣、という題について考えたとき
自分には習慣なんてないと思った。
例えばエクササイズ。
健康とゴルフのためにストレッチやヨガ、
筋トレを始めてみても、続いても精々3ヶ月。
しかし逆に考えると3ヶ月続いたのである。
運動習慣を身につけるために必要な期間は
大体2ヶ月ほどだと、何かで読んだことがあるが
さっぱり当てにならない。
必要な期間に個人差はあるのだろうが、
習慣化するとされる期間を超えても私の場合
いつでも辞められるということである。
運動なんて辛いことは続かなくても
楽しいことだったら続くのではないか?
そう考えたことはもちろんある。
例えばドラマやアニメ。毎週何曜日何時から。
最近は多くの人が放送より配信で見ているとは思うが、世の中の人間はそれらを楽しみに1週間を過ごしているように思える。
私の場合、まず1話目を楽しむことはできる。
が、2話目の放送日にはすっかり配信日だということを忘れている。
運良くSNSなどで知ったとしても、テレビをつけるのが億劫で観ないなんてこともしばしばある。
(私がタイムリーに配信を追っかけられたドラマはストレンジャー・シングスのみである。
これは夫も同時にハマっていたためで、彼は配信開始日の夜、お風呂から上がるとテレビをいそいそとつけていた。)
私のような究極の三日坊主は
自分の好きなことですら継続できないのであった。
日々の大切な習慣?
私にはそんな大層なものは存在していない。
と思い、考え直してみた。
そもそも習慣ってなんだろうか。
私は習慣というのは、なんというか
かなり能動的な…
あまりやりたくなかったとしても
しなくてはならない日課のようなものだと思い込んでいた。
全く思いつかないので行き詰まり
ネットで習慣について検索してみることにした。
長い間繰り返し行ううちに、そうするのがきまりのようになったこと。「早寝早起きの—」
心理学で、学習によって後天的に獲得され、反復によって固定化された個人の行動様式
デジタル大辞泉(小学館)
あれ?思っていた意味とかなりズレがあった。
私の中では、「運動習慣」であったり「ジョギングを習慣にする」であったり、辛いイメージが先行しており、固定化される前の反復して行っている行動を習慣と考えてしまっていたようだった。
なるほど、習慣というのはむしろ
もはや考えずとも体が勝手にしているような
毎日の中に組み込まれているものだったのか。
だったら、私にも習慣というものはある。
それはお茶の時間である。
夕飯を食べて、片付け、お風呂に入り、
1日のすることが終わってからお茶を淹れる。
お茶を飲みながら音楽を聴いたり
1日を振り返ったり、明日の準備をしたり
過去や未来のことを考えたり、
ニュースを見たり、人と話したり。
これは私が一人暮らしを始めた18歳のときから
ほとんど毎晩行われている習慣である。
昔からお茶が好きだった。
紅茶、日本茶、その他のお茶。
(そして25歳を過ぎてからは珈琲も)
その時の気分に合わせてお茶を淹れ
ゆったりと香りを嗅いで眠る前の数時間を楽しむ。
この時間をしっかりと持てた日は
夜はもちろんよく眠れるし翌日の活力も違ってくる。
お茶の時間にこの記事のように取り留めもないことを考え、頭の中を整理しているのである。
きっとどれだけ歳をとっておばあちゃんになっても
どれだけ遠い土地に引っ越しても
今日と同じようにお茶をするのだろうな。
そのときにお気に入りになってるお茶はなんだろう。
そんなことを考えているといろいろな不安が軽くなって、明日も頑張ろうと思えるのだった。
私にとっての日々の大切な習慣は、毎晩のお茶の時間です。