子供に残せることを考えてみた
先日、近所の身近な人が亡くなったことをきっかけに「子供に残せること」を考えてみました。
と言っても、その近所の方は私と倍ほども年齢が違いかつ、その息子さんももう立派な大人です。
しかし、その亡くなった方が非常によい人で私たち家族にも非常によく声をかけてくれました。
なのでそれを聞いたとき非常に残念だと思う気持ちとともに、寂しいなという素直な気持ちが湧いてきました。
さて、そんな経緯から妻と「今死んだら・・」という話題が出てきたので少し考えてみました。
もちろん心配なのは子供です。
金銭面、精神面など片親になることで様々な弊害が出てくることでしょう。
しかしそれらを除けば「子供の将来は心配していない」という結論に達しました。
どういう思考でそのような結論が出てきたのかは言語化するのに非常に時間がかかります。
1.そこまで考えたくない
→心配すればするほど、将来が心配になることもあるかもしれません。
2.そこまで考えていない
→今の環境でそこまで考えなくても大丈夫という安心があるのかもしれません。
3.勝手にやってくれ
→出来る限りはサポートするが、あとは子供達の人生なので自分で切り開いて欲しい。
簡単にあげるだけで3つの理由が出てきました。
心配しない素直な考えは3の「出来る限りのサポートはするけど、子供の人生なので、自分たちで切り開いて欲しい」というのが本音かもしれません。
心配でしょうがないから、しつけなどする。
心配でしょうがないから過干渉する。
心配でしょうがないからべったりしている。
心配でしょうがないから様々な習い事をさせる
などもちろん親は子育てしていると様々な感情が入り混じるでしょう。
シンプルに子育てできる精神力と忍耐を持ち合わせていれば、もっと悩む方も減ります。
ただ私は子育てってシンプルに考えるべきだと考えます。
「こうしたい」という軸があればそれを元に行動し、あとは子供に任せる
というスタンスでよいのではないかと思います。
様々な情報が今の時代簡単に手に入ります。そうした情報を遮断し、自分がこれまでの人生考えたとこ、経験したことからほんとに必要だと思うことを子供にも伝えていく・
そんなシンプルな考えでよい気がします。
いざ生まれれば「こうしたい」「こういう育て方をしたい」など親のエゴは誰でも出てきます。
しかし、子供がやりたいことなどをサポートする。
それが親の最大限の役目だと私は思っています。
なので今の時点でそうした役目を果たしていれば、「将来を心配することはない、自分の人生は自分で切り開いていってくれる」
ただ・・自分にもしがあったら「将来を見れなくなる」ということが残念という感情は妻との会話で一番最初に出ました。
▼子育てに関する記事他に書いてます。
▼子育てに関してシンプルに読めます