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夏の思い出2024

8月も終わり9月になった。
そんな僕にも夏の思い出があるので、経緯も含め話したいと思う。

〜生きている価値がないコミュ障〜
思い込みが変わるきっかけとなった言葉と人とモノ

2022年だったかな。とにかく生きるのが辛かった。
上手い表現は出来ないが、性差関係なく対人不信が根強かった。食欲も湧かず鬱々とした日々を過ごしていた。
今思えば、当時はとにかく酷く取り乱していた。

思い込みに変化が起きるきっかけとなったある日

自分も『元激人見知りネガティブ脳だったけど2年掛かった』と告白してきた方がいた。
その一言は急に思い込みを吹き飛ばしたわけではない。
しかし、何かが刺さったような気がした。
その方に自分へのアプローチってどんなことをしたのかを聞いた。

まずやったのは。
苦手で避けていた事を全部YESにする事から始めた。限度はあるけど嫌だなぁと思ってたりした事をけつ叩いてやりまくるみたいな感じから入った、と。
2つ目に。
人の顔色伺ったりしてたけど、自分が思うほど相手はこっちの事気にして無いし、変に気を使えば使うほど避けられる事に気づいて、当たり前の気遣いだけ出来てれば良いと気づいたそうで。
3つ目に話す時に変に言葉を選ぶと伝わらなかったり、逆に相手から『何が言いたいの?』となるから選ばず伝える姿勢を見せることを心がけた、と。

その方と会っていなかったら、上記も含めて自分のダメなところに気付けないまま、人生終わりそうで、きっと今年の夏の思い出も出来なかったかなと思っていて。
詳細はここまでにするけど、正にそんな取り乱し、思い込みから私を救ってくれた、『言葉』と『』だと思っている。

『ラジオ』と『中川絵美里』さんが齎したもの

次に『モノ』、『人』という意味で思い込みを変えるきっかけになったのが『ラジオ』と『中川絵美里』さん。
そのラジオはTHE TRADという番組。
最初は知らない曲が多くて、『何だこれは???』とストレスの圧はあったが、アシスタントMCの『中川絵美里』さんの声にふと一目惚れ。噛むところはあるけど、とにかく一生懸命な進行ぶりと声の綺麗さが可愛くて。

因みに『中川絵美里』さんが気になったきっかけは『JUJU』さん。
昨年12月2日。
人生最高レストラン』に出ると知って、この人どういう仕事をしているんだろう?と気になったのがきっかけ。
それが『人生最高レストラン』の前の『情報7days』お天気アナウンサーの他に、『THETRAD』のアシスタントMCだった。それを機に中川さんが野球(巨人)とサッカー(エスパルス)が好きなことをも知ることに。
サッカーはエスパルスが好きというので、今年3月2日のアイスタでのホーム開幕戦でホームゲストとして挨拶して来場する事情も相まって急いでチケットを取った。
対戦相手である愛媛の脚力に苦しむ時間帯は長かったが、主将の北川がいずれも得点に絡む活躍をして2-0で勝利した。
ホームゲストとして挨拶したときも、ただエスパルスを賞賛するだけでなく、相手チームの愛媛のサポーターをも気遣う姿勢を観て言葉選びの上手い方だと思って。
そんな姿を見て一目惚れした記憶が強かった。

さて、話は脇道に逸れたので戻ると。
ラジオメールは採用こそ少ないが、上述の中川さんへの一目惚れがきっかけで『出来る範囲で自分の尻を叩いて』文章を書き続けたら、2月15日にハマオカモトさんに、4月17日に粗品さん、8月9日に御代田悟さんから採用してもらえた。
中川絵美里』さんが合いの手を打ってくれて元気を貰った。
2017年8月14日にInterFMの『Now What can I see?』でMCだった堂珍嘉邦さんに採用して貰って以来だったから、嬉しいとありがとうという気持ちになった。

そして3度目の採用になったのは2024年8月9日。
静岡のラジオ局だったか。
K-mix Awesome Radio』という番組だった。
何といきなりトップバッターでの採用!


中川さんに読まれればもっと気分も上がったのだろうけど、『一緒に読んでくれた事実』が下降気味だった気分に徐々に光を与えてくれるのを感じていた。

夏の思い出

どうしても行きたかったあの『イベント』と『伝えたかったこと』

今年の8/3と8/12。
新宿と大阪での中川絵美里さんの写真集のお渡し会。
これに行ってきた。
実は、『推し活』での対面イベントに参加するのはこれが初めてだったのだが、中川さんのお顔立ちのあまりの美しさに、とにかく緊張して会話が辿々しかったことを覚えている。

私『いつもTHETRADと情報7days楽しみにしています!』
中『ありがとうございます!いつも情報7daysにいらっしゃってますよね?』
私『はい!』

東京でのお渡し会は上記の感じだったか。元々会話が苦手とはいえ、一人一言しか言えない会場の体質も合いまったのか、会話のキャッチボールにならず三文ドラマになってしまい悔しかった感。渡そうとしているプレゼントは言えず悔しかったが、今年2月からの情報7daysでの観覧に関しては認知してくれていて。
ラジオ採用とそれが仕事の成績向上に紐づいたことのお礼、中川さんの良さについては皆にも広げるつもり、ということを伝えたくて。それを言ったら。

中川さんからは
メッセージの採用に関しては『またメッセージください
仕事の成績向上に紐づいたことは『お仕事頑張ってください
良さは広めたいと言ったら『是非お願いします』と。

これだけは嬉しくて。

中川さんの美しさに惚れた瞬間だった。

大阪と神戸の思い出

初日の中川さんのイベント終了後は兵庫に住んでいる知り合いに梅田や天満などを案内してもらった。
その前から壱岐牛の炙り肉寿司を食べることが出来るお店で情報は得ていたが、甲賀流のたこ焼きは『ブラックペッパーソルト』と『柚子ポン酢』が食べたくて美味しそうだったので、食べたら…

美味しい!
ビールと合わせると、もっと美味しく進みそうな味で、素で食べていてもあっという間に進んでしまった程。また食べたいと思わせてくれた。
それでは飽き足らず、焼肉から大阪散策まで。
有り難や有り難やです。

左がブラックペッパーソルト、右が柚子ポン酢
たこ焼きうまい屋さん。8個500円
焼肉たくさん食べたなー。
グリコの写真。一度は撮りたかった

2日目は神戸と箕面へ。
実は、神戸には一度でも訪れたかった場所がある。
それがカバー画像にもなっている、メリケンパーク内にある『BE KOBE』モニュメントだ。
何故なら、僕が憧れているバスケ選手の1人で、2020年1月にヘリコプター事故で死去したコービーブライアントが2001年から2011年まで10年間も神戸市の親善大使をしていたから。

彼の死は、姉とクラフトビールを呑んでいた仲間から聞いて知ったのだが、聞いた瞬間は本当に頭が真っ青になった。
『これは正気か?』と。

2000年から2002年まで3年連続NBA王者、2006年に得点王、2008年にシーズンMVP、2009年と2010年に2年連続でNBA王者に輝いたのは彼の主な実績。2013年4月12日にアキレス腱を切ってしまって以降、晩年こそ成績は芳しくなかったが、引退試合で60点を取り、勝利にまで導いた。最後までレイカーズに所属し、チームに貢献した功績を称えられ、身につけていた背番号8と24は永久欠番。2006年1月22日に81を取りチームの勝利に貢献した際に指を突き上げた姿は銅像にもなっている。

なので、関西に来たからにはここに来ずには帰京出来ないと思った。

次に箕面に行ってきた。
何と言っても『箕面ビール』。大阪ではコンビニで売ってる(?)とのことだそうだが、箕面ビールに触れる機会に確認させてもらった方はアサヒを飲むそうで。
嗜好品なので好みは置いといて、、、僕はというと桃ヴァイツェンを頼んで、ポテトサラダ、NYチキンオーバーライス、ソーセージの盛り合わせ、挽肉のグラタンをフードに。
これで4000円だったんだけど、お昼が遅かったので、丁度良かったのかも。

直営店
桃ヴァイツェン
ポテトサラダ
左上からチキンオーバーライス、ソーセージ盛り合わせ、挽肉のグラタン

もう一人の『人』

『人』という意味で思い込みを変えるきっかけになった人はバスケ関係の方だったが、もう一人の人は『JUJU』さん。
JUJUさんも2004年8月25日に『光の中へ』でデビューした時、売れ行きが芳しくなく、元々のCDリリースを凍結するほどだったとか。
契約終了間際にこれが売れなかったら最後という気持ちで以って『奇跡を望むなら…』の制作に臨んで、2006年11月22日に発売し、大ヒット。そのことを『中川絵美里』さんが出演している『情報7days』の次の番組、先述した『人生最高レストラン』で述べてて。このヒットがきっかけで、1stアルバムである『Wonderful Life』と繋がり、翁という恵比寿の中でもかなりの高級蕎麦屋にご馳走されたそうだ。(現在は閉業しているとのことらしいが…)
2007年に10月10日が『JUJUの日』として制定された。
因みにここでの夏の思い出の関連性は?というとJUJUさんのライブ(8月25日の20周年ライブ)に行ってきたこと。
そのMCで知ったことだけど、プロデビューの初期の頃はライブが怖かったとのこと。紆余曲折はありながらも、ライブを通じてファンが増えるごとに時間をかけて『ライブはファンと繋がれる場』と気付いたそう。


その言葉を聞いて気付いた。

こんな自分をも思ってくれる人はいる
思い込みの残存はまだまだあるけど、
自分を思ってくれる人の存在が少しずつ思い込みを変える大きな力になっていた

中川絵美里さんとJUJUさんが僕に齎した恩恵も仕事に好影響。
粗さはあるし、みんなに比べたらまだまだなことは多いけど、やれば出来る点は認めてもらえて、自分なりに仕事の成果を出す工夫が出来るようになったのでそこは大きかった。

僕のナツノオト

上述したTHETRADという番組でナツノオト2024という企画がやっていたのだが。
僕は不運なことに採用されなかったが、そんな僕にも好きなナツノオトがある。2017年に糸島へ行ったときに僕の気分を上げてくれて、今も好きな『ナツノオト』を皆さんにご紹介したいと思う。

Mirage in Blue

2004年7月7日にCHEMISTRYが11枚目のシングルとして発売。
資生堂のシーブリーズのCMソングとして採用された。
高校時代の1曲で、度々モチベーションを上げるために聴いていたが。
2017年に会社の夏休みを利用して、母親と2泊3日で福岡と佐賀に旅行してきたことがきっかけで、このTHETRADに紹介したくなった。
福岡に来たら、糸島の海には行くと決めていて、この曲のメロディの爽快感と、
日没前の国道202号と糸島の海風の心地よさがマッチした。
夏になると必ず聴く一曲。

ロンドンバスカフェ
糸島
抹茶ジェラート
コーヒー

②Photograph

元々は1967年にアントニオ・カルロス・ジョビンがリリースした曲なのだが、これを土岐麻子さんがカバーしたverが好きで。上述した2017年に糸島に行った時も日没前にスマホのステレオから流したのだが、先述のMirage in blueと同様、糸島の海風にピッタリ合う。

残像 feat. CHEMISTRY
ずっと読みかけの夏

上記はいずれも冨田ラボさんとCHEMISTRYのコラボナンバー。
残像は下記の歌詞が好き。今の時季でも聴いてる。

あなたに出会った
あの日から 変わり出した
雲の切れ間から
何かが 照らしていた rainy day

雨がこころで降りしきる
冷たい冴えない日々
どんな風でもこの消えない胸の雲が

目を閉じてもまだ
眩しいあなたの残像が瞼の裏
消えずに残って
湿っぽい僕のこころを照らしてる
変わり始めた天気 rainy day

残像の歌詞より

次はずっと読みかけの夏。
2009年に発売されたthe CHEMISTRY joint albumの12曲目に収録。
夏が来たらこれもよく聴く曲の一つなんだけど、推しポイントは
*夏の情景が浮かぶ
*夏に聴いても秋に聴いても素敵

Wave

これも1967年にアントニオ・カルロス・ジョビンがリリースした曲の一つ。
曲の推しポイントは、
*心地よいピアノの演奏
*流麗なギターの演奏
の二つ。これも糸島の情景が浮かぶ素敵なナンバー。

終わりに

思いの丈はまだまだ色々あるけど、中川絵美里さんという1人の女性を通して、自分自身の課題や不安もあるけど自分自身の生きがいにも気づけたように思う。
これからどんなことが起こるかはわからないけど、良い出会いもあると知れたから『ほんの少しは』頑張れそう。


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