語り継ぎ、伝え拡げるということ
むかし京都に立誠シネマという映画館がありました。
立誠小学校という閉校した学校の校舎を利用した映画館で、コンパクトながらそこで流される映画のチョイスや関連したプログラムは、映画を積極的に観るようになって数年というレベルの当時のわたしでも「こんなところで(失礼)こんなことができるんだ!?」という驚きの内容の連続でした。
そんな立誠シネマが惜しまれながら閉館したのが2017年。 ラスト興行の内の2本を、となりのひとの肘が終始触れつづけるような密度、エアコンをマックスにしてもまったく下がらない熱気のなか、汗だくになりながら大林宣彦監督のこの空の花 長岡花火物語と、ジョナサン・デミ監督のストップ・メイキング・センスをたてつづけに観たことをいまでも覚えています。
お恥ずかしながらというべきなのか、それまでが幸運だったというべきなのかはわかりませんが、このときわたしは、人生ではじめて「街の映画館がなくなる」ということを体験したのです。
この気持ちをいったいなんと表現したらいいのでしょう?
じつはこれまでもそこまでの頻度で行けていたわけではありません。 しかしそこに行けばなにかしらおもしろいことがある、あたらしい価値観やあたらしい視点と出会える。 当時のわたしの稚拙な知的好奇心を満たしてくれていた場所が突如姿を消す。
どう表現したらいいのかわからないこの喪失感は、これまでのどの出来事とも異なる苦味を伴ったことだけを覚えています。
そんななか、立誠シネマが出町座(仮)として再スタートすると知ったときは、本当にうれしかった。
個人的にはさらに行きづらい場所になるけど(笑)、これは絶対に応援したいと心の底からおもいました。
そして出町座は2017年末に無事オープンされました。
はやくお伺いしたい気持ちとは裏腹になかなかタイミングが合わず、実際にわたしが出町座に行った日はオープンからしばらく経ってからのことでした。
その日に観たのはトラヴィス・ナイト監督のKUBO/クボ 二本の弦の秘密という作品でした。
シンプルに観ていただきたいのでここでは内容については触れませんが、映画はおもしろく、とてもすばらしい作品でした。
しかしなによりもすばらしかったのは、映画の内容だけではなく、この映画の成り立ちそのものでした。
ちょうどわたしが当時読みすすめていた本が、フィルナイト著 SHOE DOG 靴にすべてを。という本でした。
そう、KUBOの監督 トラヴィスのお父さん、ナイキの創業者 フィルナイトの自伝本です。 フィルは一時期とても日本と関わりが深く、本のなかでも日本を舞台としたエピソードがいくつも語られていました。
トラヴィスはフィルの出張について日本に滞在したときの体験から日本文化の興味をもち、このKUBOという物語を生み出すに至ります。
わたしには出町座で観たはじめて作品がKUBOであったことが、偶然のことのようには思えませんでした。
父親の影響で日本に興味を持ったトラヴィスが時を経て紡ぎ出した物語を、
京都で映画文化を育んできた立誠シネマを受け継ぎ拓いた出町座が語る。
形は違えど文化に影響を受け、それを昇華し表現に変え、あらたな価値観を拡げ問うていくその両者の姿勢に、わたしは勝手にものすごく深い繋がりを感じたのです。
しかし文化とは、映画とは、物語とは、そういうものなのではないでしょうか。
ひとが文化に触れ、映画に触れ、物語に触れることで自らの内側に豊かな世界を築き、熟成されて表に出てきたあらたな物語がまた他のひとに影響を及ぼしていく。
その連なりというか、繋がりの輪こそが文化、映画、物語が語られるべき理由、意義なのではないかとおもうのです。
そしてその連なりを繋ぎ拡げる場所としての出町座という場所に、あらためてその行いの意味について、想いを巡らさざるおえなくなりました。
そんな出町座にいまは行けません。
改めて立誠シネマが閉館したときのきもちが一瞬よぎりました。
現在は仮設の映画館という試みで映画鑑賞をし、その料金を劇場と配給に分配していただけるシステムに出町座も名を連ねています。
また昨今の状況を鑑み、出町座は未来券を発行されました。
そこにはこう記されていました。
「たくさんの人が大きな不安を抱えながら日常生活を送らざるを得ないこうした時こそ、人が生きる支えとなる文化の灯をできるだけともしていたい。」
これこそ映画、そして映画館にしかできないことなのではないかとおもうのです。
2度と失いたくはない。
心からそうおもいます。
ミニシアター・エイド(Mini-Theater AID)基金も5/15に一旦締め切られます。
「これまで」に何を置いてき、「これから」になにを持っていきたいのか?
そう問われている気がする。と数週間まえのわたしは書きました。
「そしてそれを決めるのは、これからのわたし自身の選択と行動次第なのではないか。」とも。
語り継ぎ、伝え拡げるということ。
人が生きる支えとなる文化の灯はそうやって灯し繋がれ、いまにいたるのではないでしょうか。
だからわたしはその想いを灯して、ひとに繋いぐことができたらと綴ることをえらびます。
いつの日かまた、
となりのひとの肘が終始触れつづけるような密度、
エアコンをマックスにしてもまったく下がらない熱気のなか、
ふたたび映画館で映画を観るその日まで。