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【8th ASPECT 】私の教養論

教養と「意識が高い」のは等しい。教養意識の高さ板につく と あくなき 向上心 を発揮しながら生活していける。当然、教養や意識が高い高い詐欺を働きまくると、教養や意識が高い系だと見なされるに決まっている。

もちろん 教養の理想と現実 が論じられたり、 教養の理論と実践 が解説されたりはするのだが、私は きん先生による、

今後の教養のあり方について

以上のように論じてくれば当然予想されるように,教養は決して文字や書物,大学などの独占物ではありえない.

あえてここで教養を定義すれば「自分が社会に対してどのような役割をはたしているのかについて自覚して行動しうる」個人と集団のあり方となるだろう.

「いかに生きるべきか」という問に対して個人と集団がどのように答えるかによっているのである.

阿部 謹也 教養教育の将来 より
(「教育学研究」第66巻第4号 1999年12月)

教養のあらゆる論点を散りばめた 確かな問いかけ だけで十分だと思う。

誰かが伝える何かを教養とするのではなく、これから自分が示していく何かだけが 自分にふさわしい教養 だからだ。

というわけで、以下、他の誰でもない自分だけの生き方を携えたあなたに、教養はどのような意味と機能で成り立つのか、教養を独自の学問に変ずる目的意識、教養の変遷を辿り体現していく専門図書館について記すとしよう。


教養の意味と機能


教養の意味は、

我々の一人一人が、個人的な倫理と集団的な道徳と社会的な法律の綱が張り巡らされた、世の中を綱渡りするために、

それぞれが身につけた知識・経験・勘によって導かれる方法論であり、

教養の機能は、

この世界に、自分とそれ以外の全ての距離感を探り位置づけるためになされる、私人的・公人的・個人的・集団的なアプローチに、

意識的な理解と無理解、無意識な理解と無理解が組み合わさった、必然と偶然な行動の産物である。

学問創設の使命を帯びた教養学

教養論は、教養が研究の予備知識なのか、研究をあらゆる角度から捉える世界観であるかによって、立場が分かれるのだが、知ったこっちゃない。なぜなら私は第三勢力なのだ。

すなわち、教養を学問創設に特化した独自の教養学に変ずるわけだ。既存のあらゆる学問分野を系統樹に纏め上げ、未開拓の研究領域を探り出す。世の趨勢をリアルタイムに学問へ反映し、どの学問分野で担うべきか最適化していく。

例えば、ある社会問題に対応する学問分野が複数ある場合。

どの分野を選択するかを越えて、ひとつの学部で複数の学問分野を学び研究していく学際分野にするべきだと提案することも可能だ。

ぶっちゃけ各研究機関の垣根を超えた研究ネットワークを構築し、教養学データベースが提供できれば、学問創設を目的意識に据えた壮大なアカデミズム・レビューとなるだろう。


「いかに生きるべきか」の軌跡と輪郭を示す教養図書館

教養とは何であるかを探る実践として資料館を運営する。世にも珍しい教養図書館という名の専門図書館である。

研究の基本書、ジャンルを問わない入門書、 各種の講義録の収集に始まり、

仕事を通して体現される生活様式、冠婚葬祭の在り方を定点観測し、

思想信条や趣味嗜好が反映された表現と鑑賞を関連づけ、

技術・家庭や保健体育の理想と現実や理論と実践の体系化、

を任務に掲げる。

それら教養資料の展示会を催し、学問創設を巡る教養学の発表会も執り行なっていく総合施設となるだろう。

さて、どうでしょう?

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レザバー
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