自分のコントロール方法
物心ついた時から、周りから押し付けられる性別に違和感を感じ、抗おうとも強大な社会の圧力からは逃れられずただ毎日を動いているだけの日々。
隠しておかなければ今よりもっと酷いことが起こると信じきっていた私は、本格的に自身の悩みは表には出さず。「何も悩みが無さそうで羨ましい」と周りには言われ続けました。
当然そんな訳もなく、誰にも助けを求められないまま、溜まりに溜まったストレスや行き場のない感情は、身内や物に当たり散らしたり、自身を傷つけることで無意識に解消しようとしてました。
なぜそのようなことになったのか、自分の選択肢がそれしかないと思い込んでいたからです。そんなバカチンな私もそれなりに物事を吸収し始め成長し、キッカケはわかりませんが高校生の時に自然と自分について考えるようになりました。
外が真っ暗になると私は家を出て、毎日走りに行くようになりました。同じペースを保ちながら目的の場所まで行き、タッチして帰っていく。だいたい2時間ぐらい。その間はずっと自分について考えていました。ふと気づいたら家に戻ってたぐらい集中してました。
初めは「なぜ自分だけがこんな目に」「普通に産まれてきてたらどんなに楽だったか」「将来に夢も希望もない」「周りはどうせ助けてくれない」「一生ひとりぼっちだ」こんな事ばかりが頭を巡って終わります。
しかしそれを繰り返すうちに自分では気づかないうちに頭の中の意見が変化してきました。
毎日毎日いつまでこんな事考えてんだ?誰にも助けを求めようとしないのは誰だ。ほんとは誰かに気づいて欲しいんだろ。苦しいことをわかってほしいんだろ。頭で考えてるだけで今まで誰にも伝わらなかっただろ。ドラマみたいな展開を待ってるのか。
これが初めて自分が自分の本音に向き合った瞬間でした。それから不慣れながらも少しずつ前を向くようになり行動するようになり、さらに自分の行動について深く考えるようになりました。
例えば「怒り」に関して、自分が怒りを覚え暴れた時、考えます。なぜ怒っているのか?自分に問いただしてみると
「悲しくてショックだった。その自分の辛い気持ちを相手にわかってほしい。暴れることにより相手はビックリして自分の話を聞くのではないか」
なぜよりによって身内や物に対して当たるのか?他人の前では大人しいじゃないか。
「身内や物なら仕返しが怖くない。他人だと怖い」
本来であれば恥やプライドが邪魔して出てこない素直な意見をしっかり掘り返します。
そこで初めて、実際暴れて上手くいったことはあったか?本来の目的が、相手に自分の気持ちをわかってもらうことなら、暴れることでむしろ伝わりづらくなってないか?初めから落ち着いて悲しかったことを伝えるのが1番効率よくないか?本当は臆病なのに安全な場所でだけ虚勢を張ってる方が恥ずかしくないか?と自分にとってより良いアイディアが浮かびます。
このように自分の本音としっかり向き合うことで、自身をしっかりコントロールできるようになり、とても生きやすくなりました。
パソコンもある程度は感覚で使えるけど、詳しく知ればもっと上手く使いこなせるようになりますよね。人も同じだと思います。
自分の本音と向き合うという事は、人には知られたくないような自分が弱くて、愚かで、汚いと思っている部分をしっかり受け入れるという事です。受け入れることによって初めて、的確に考えられるようになり、改善方法が浮かぶもしくは改善するために行動できるようになります。
自分の受け入れられない部分というのは、自分の見たくない部分であり、なるべく目を背け見ないようにする部分です。目を背けるという事は説明書を読んでないようなものなので結果自分の使い方がよくわからず、時には無意識に暴走といった形で行動に現れてしまい、気づかないうちに自分にとってもマイナスになってしまいます。
本当に弱くて愚かで汚いこととは果たして何なのか。物事についての考え方の選択肢を増やしておくのが、素直な自分を受け入れるためのカギになるのではないかと思っています。
私は、今は本当に「何も悩みがなく羨ましい」幸せな存在になりましたよ(*^ω^*)