笑った顔がさぁ、遅れて映るんだよ。
「親は子の鏡」っていうじゃない?
あれ?「子は親の鏡」だっけ。
「鏡は親の子」だった?(それはない)
いやぁね、どっちも正しいよなぁって思うんだよね。
「親は子の鏡」ってのはさ、つまり「子供の手本たれ」ってことだよね。
育って欲しいように生きなさいってことだもんね。
ガッチガチに子どもを縛る親っているじゃない。
で、そんな親にね、「どんな子に育って欲しいですか?」って聞くと
「自分の足で歩ける子に」とか言うの。
そんなん無理じゃない。縛られたまま歩けってさぁ、捕虜か!
だから「自分の足で歩ける子に」育てたかったら、親が自分の足で歩くしかないんだよ。んで、子どもには自分の足で歩かせるの。手を離してね。
あ、でも目は離さないであげてね。遠くからそっと見守って。
そしてね、「子は親の鏡」なんだよね。
子どもを見ていると、今まで自分がどうやって子どもに接してきたかわかる。なんだかんだ言って子どもは影響を受けているからね。
先日、ちょっとゾッとした出来事があって。
娘とおしゃべりしていた時のこと。
他愛もない話なんだけれど、「男子に生まれ変わりたいって思ったことある?」みたいな話をしていたんだ。
で、娘は娘なりの「男子感」「女子感」を語り始めたのね。
「男子ってさぁ馬鹿なこととかも恥ずかしがらずにできるのがいいと思うんだよ。女子はなかなかそう言うことできないからさ。」
なんて語り始めてすぐに、妻が言ったのね。
「それは人によるでしょ。男子だから、女子だからってことじゃないよ。」
決めつけて欲しくないって思いがあったんだろうな。
でも娘の話の腰を折っちゃった形になったのね。
で、娘にスイッチが入った。
「何?なんなの?どうしてママはいつも否定から入るの?関係ないんだから話に入ってこないで。本当に失礼。」
「え?否定してないじゃん。ママの思ったこと言っただけでしょ?」
「あーそうですねそうですね。いいから黙っててよ。」
「何それ?なんで私が責められなきゃならないの?」
「ほんっとママはいっつもそう。ぜーんぶ否定から入る。本当に嫌な性格だよね。あー嫌だ。」
「・・・」
「ちょっとは悪いと思ってよね。悪いことしたんだから。悪いことしたら謝るのが普通でしょ?そんなこともできないの?」
「・・・・・(プツン)。あーーー腹たつ!!!あんたなんかと話したくない!黙ってよ!」
「はいはい。じゃあ喋らなきゃいいじゃん。ほんっとにママは・・・」
もう徹底的に追い込む。大したきっかけじゃ無かったんだけれどなぁ。
とりあえず息子と部屋を移動して、二人で話せる時間を作ってみたけれど・・・険悪なまま終了。そうだよなぁ。お互い火がついちゃったしね。
でね、すこーし熱がおさまった頃に、娘と話してみた。
「ねぇねぇ。娘ちゃんは、ママをやっつけたかったのかい?」
「やっつけたいとかじゃないんだよ。でも、自分の間違いを認めないのが嫌なの。私を嫌な気持ちにさせたことは事実なのに、絶対に自分の間違いを認めないから、認めるまで責めたくなる。」
「ごめんねが欲しかった?」
「うん。それがあればスッキリしたと思う。」
その瞬間、思い出した。
彼女が小さい時に自分がした指導を。
彼女が謝るまで叱り続けた自分を。
あぁ、これは、俺か。
自分が正しい!と娘を叱りつけた、俺か。
「どうして謝れないんだ」と執拗にせめた、未熟な父親の姿だな。
子は鏡だ。何年も遅れて映る鏡だ。
「ごめんなぁ。今思い出しちゃったよ。パパもそうやって、娘ちゃんを叱ったことがあった。悪いことをしたことに気がついて欲しくって、強く叱ったことあったよね。」
「そうだっけ?」
「うん。でもね、正しい側が正しいとは限らないんだ。正しさゆえに相手を傷つけちゃうこともあるんだよね。きっとパパも娘ちゃんを傷つけたんだと思う。だからごめんね。ママもきっと傷ついたと思う。自分が正しいと思って相手を責めている時は、ちょっとだけ気をつけたらいいよ。傷ついている相手に気がつけなくなるからさ。」
「・・・」
子は鏡なんだなって実感したんだよ。
親が笑顔で子どもを受け入れていると、子どもは数年遅れていい笑顔を見せてくれるの。
親が厳しく子どもを責めていると、子どもは数年遅れて親を責め始める。
それを世の中では反抗期っていうのかもな。
遅れて映る鏡だから、気がつきにくいけれど、
ちゃんと映るから気をつけよう。
せっかく映すならさ、いい笑顔がいいよね。
だからできるだけ笑っていようぜ。親もさ。
僕らの笑った顔がさぁ、きっと遅れて映るんだよ。