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東海道新幹線の車窓から感じる日本史

今日は出張で大阪に来ています。大阪や名古屋への出張が多いため、東海道新幹線は頻繁に往復しています。
 
今は新幹線に乗ることが日常のこととなった為、いつもではないのですが、東海道新幹線を乗っていると時々歴史に想いがいくことがあります。それは、歴史上の多くの名跡の前を通りすぎるからです。
 
まずは富士川(静岡県)。鎌倉殿の13人でも描かれていましたが、「富士川の戦い(1180年)」にて源氏と平氏がはじめて本格的に戦いました。夜陰に源氏が移動しようとしたところ、富士川の水鳥が突然飛び立った様子に平氏は「すわ敵勢か!!」とおどろいて平氏は逃げてしまいました。その後の平氏滅亡を予見するできごとでした。
 
次に大井川(静岡県)。江戸時代、大井川に橋をかけることは禁止されていました。外様大名等が江戸幕府に反乱を起こし、江戸に東上することを恐れた江戸幕府が橋をかけることを禁止したのです。参勤交代等で川を渡る時は、通行者を背負って渡る業者にお金を払い、渡ってみたようです。
 
名古屋を過ぎた後に入るのは関ケ原。言わずとしれた「関ケ原の戦い(1600年)」の戦場となった場所です。実は古代のターニングポイントになった壬申の乱(672年)も「不破の関」という関ケ原近辺が主戦場となりました。各街道のクロスポイントということもあり、戦略上の重要地点だったのでしょう。
関ケ原を過ぎると、石田三成が逃げたという伊吹山が見えてきて、少々感傷を感じます。
 
関ケ原を過ぎて、彦根に入る寸前に「佐和山城」の跡地の真横を通ります。佐和山城は関ケ原の戦いで敗れた石田三成の居城でした。関ケ原の戦いで敗れた石田三成は佐和山城を目指したのかもしれませんが、関ケ原直後に佐和山城は東軍により攻め滅ぼされています。
 
佐和山城、彦根を通過した後、織田信長が築いた安土城跡の真横を通ります。山、というより小高い丘のようにみえる安土山が真横に見えます。きっと450年前には壮大なお城があったのでしょうが、残念ながら今はそのおもかげは見当たりません。
 
もっと他にもあるかもしれませんが、東海道新幹線の車窓からはこんな日本史がみえてきます。もしご興味があれば、こんど新幹線に乗った時にはすこし気にかけて頂ければと思います。

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