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今なら仕事も子育ても両方取れるはず
シンガポールできらきらしない生活を送るけりーです。
今までのキャリア振り返りシリーズの続きです。ざっくり今までを振り返るとこんな感じです。詳しくは、けりーはなにをしている人なのよ?と思っている人へ
・大学3年で妊娠
・卒業し専業主婦でさっさと2人目を出産
・翻訳会社で時給900円からスタート
・7年越しの思いを経てオイシックスへ ←この頃のこと
・レッドブルを1年で退社
・アクセンチュアの戦略本部へ
・シンガポールと日本を行き来する
・副業を経て独立
・シンガポールに戻る
オイシックスにいたのは、年齢的には30-35歳になる時でした。子供は小学生。深夜まで仕事をして、終電で1時間半かけて家に戻って、24時間開いている西友で食材を買い朝まで試作する、みたいな感じ。
なによりもずっと入りたいと思っていた会社で働いていたこと(オイシックスに転職した経緯はこちら、ストーリーと執念で念願の転職)、そしてそもそもそれが自分が昔から好きな食、特に外食などではなく「家庭での食事」にフォーカスしていたものだったこと、新規事業開発など広い意味での「なにかを作り上げる」というこれまた私の好きなことだったから、というのもあります。
本当に恵まれていたと思います。今でも給料が上がっていればずっと残りたかったと思っていますw なにせやめる時でも月給が33万円くらいで、ボーナスほぼなしだったので。
オイシックスでの経験はまさしく自分の資産となっています。
仕事か家庭かを選ぶ時代
ただ同時は今とはだいぶ時代が違いました。
そもそも、2010年から2015年ですよ。
もはや14年前!
14年前、みなさんは、なにをしていましたか?
ワークライフバランス、なんて言葉もないし、みんな大好きなワーママという言葉もありませんでした。
そして、当時の私はずっと入りたかった会社だったのと仕事も楽しかったこともあり、仕事に全振りしていた。つまり、語弊がある言い方でしたが、子育てと家庭を捨てていました。
どんな働き方をしていたかと言うと、もともと都内に住んでいたのですが、前の会社で正社員になった頃に、母の実家から歩いてすぐのマンションを借りて引っ越しました。これは仕事をみっちりしたかったからで、当時のパートナーは激務でお迎えはおろか帰宅も終電という働き方だったので夫婦だけで子育てをすることは無理だったからです。
なので、お互い通勤には1時間半ほどかかりましたが、母のサポートを受けられるところに住み、母に子育てをお願いしてひたすら仕事をしていました。私がやったのは、朝保育園に送るのと、夕食を作っておくくらい。夜はリアルに終電なのでみんな寝ています。
そして、扱っていた商品の販売のピークがゴールデンウィーク(母の日のお花)、夏休み(お中元)、お正月(おせち)であったこともあり年中休みなく働いていました。
両方取る、を考えつかない
その頃は、会社にも働いていてフルタイムで働いている人は1人しかおらず、彼女は残業はせず、私よりずっと子供が大きい方でした。
それ以外で残業ありで働いている女性は皆無。
SNSなどもろくにないし、メディアなども今と比べられないくらい身近ではなく、ロールモデルになるような人もいない。身近にもいないし、私自身も 家庭と仕事を両立させる、という発想すらなかった。
仕事か家庭か。どっちかしか選べないと思いっていたしので、私は 仕事を取ったということです。
もちろん、当時の私なりに必死だったし、何かを諦めるしかなかったのも事実。でも、今の時代なら「どっちも取る」選択肢がある。
リモートワーク、フリーランス、副業、企業に属しながらの柔軟な働き方。選択肢はいくらでもある。
もちろん、なんとなく両立できるのではない。
意識的に仕組みを作らなきゃ、簡単にバランスは崩れますし、家族やまわりの協力も必要。なによりもある程度の自分自身としての割り切りや覚悟も必要。
でも、今なら どうやったら両方を取れるかを起点に考えられる。
そして私は、その選択肢を考えすらしなかったことを、今になって後悔しています。特に上の子供達には非常に非常に非常によくなく、今でもそれを償っている感じがあります。本当に、長いのですが、これを読んで欲しいです→ 私の子育についての反省文 。
なので、2ターン目の子育てをさせてもらっている今は逆に全力で仕事も子育ても欲張りに求めています。今のスタンスはこれです、キャリアも子育てもほしいし、全部やりたい 。
がむしゃらに働いて得たものは
私がオイシックスで働いていた5年半を振り返ると、働くことのコアはここで叩き込まれた感じで本当に私の中での資産です。
職務経歴書にいうと、マーケティングの商品開発からセールスまでを徹底的に手を動かして学んだ、という形になります。
インターネットでものを売ることのすべてを文字通り一人でできるようになりました。
新商品企画、お客様ヒアリング、サイトのデザイン、販促、数値管理、マーケティング、スタイリングと撮影、取材など全部やりました。
最初のチームは弱小チームで私ともう一人しかいなく、カメラマンを雇う予算がないので、一眼レフを買って自分で撮影していました。使い方も分からないので、ニコンの写真講座に行ったり。もちろん全部自腹です。
おせちの撮影用の販促バナーを他社の真似をして作りたい、となれば自宅の着物を引っ張り出して着て、女将のようなポーズを取る。ちなみに私こういう女将の着物めちゃくちゃ似合います。顔がのっぺりしておでこ広いので。
冬はタラバガニを売りたいので家族団らんの写真が必要なら我が子にタラバガニを持たせる。
結果、その写真を見た知り合いに「あれ、Yahoo!ショッピングで子供出てなかった?」と連絡をもらいました。意外とバレるんですね。
当時、一番がんばった新規事業開発は、20分で主催副菜が2人分できるKit Oisixというミールキットです。最初は2013年にオイシックスの会員向けにこっそりと30食でリリースしたのですが、2023年時点で累1億5000万円食売れているそうです。
Kit Oisixに関しては書き出すと止まらないので、やめておきます。でも、本当に全身全霊を込めて作りました。
とにかく、こんな感じで、全部やっていました。そして、ここで得たことは書ききれませんが、すべて今の仕事に活きています。
宏平さん!入社させてくれてありがとう。いつかきちんと恩返しをしたいと思っています。※オイシックスの代表 髙島宏平
きっと、またあの頃に戻ったら同じようにがむしゃらに働くと思います。それくらい会社自体に勢いがあり、いわゆるベンチャーがぐっと大きくなるものすごく楽しく刺激のあるタイミングで、なにもかもがスピード感があり最高。でも、きっとそれを楽しみつつ、子育ても捨てない方法を選んでいたことは間違いありません。
海外生活や子育てで悩んでハゲそうになりながらも、毎日をストレスなく楽しく過ごすコツを模索しています。そんな日々のリアルな話はこちらのメンバーシップ、<ハゲ散らかしnote>をぜひ覗いてみてください。毎月、シンガポールのスタバのラテ1杯分です。
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