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『フランス革命と明治維新の比較』から考える、今後の日本政治の転換

パリ五輪の開会式映像について、『マリー・アントワネットの生首』的な映像とか、あとキリスト教を侮辱しているのでは?といった批判が取りざたされてますよね。

特に日本では、

『フランス革命』によって暴力で民衆が権力者を打ち倒す民主主義の本質をフランス人は知っているが、日本人は自分の力で民主主義を勝ち取ったことがないからダメだ。明治維新などは単なる武家内部の勢力争いに過ぎない

みたいな「ある意味よくある論調」がかなりシェアされてバズってるのを見かけたりしました。

一方で、例えば欧米の知識人でもフランス革命に批判的な人は結構いるし、逆に日本の明治維新をポジティブに評価する人もいるんですよね。

その「フランス革命に関する紋切り型の理想化」を超えたところに新しい日本の政治のあり方があるのではないか?という話をします。

それと関連して!

実は先月末の「都知事選」に関する色々な記事youtube動画が広くシェアされた結果、今月半ばにいろんな野党議員の方から声をかけられて会合やら勉強会やら飲み会やらに参加してきたんですよね。

左派政党の国会議員の中には僕と仲良くしてるというのが「お仲間」間的に問題みたいな人もいるんで(笑)、名前を出せるのは「自分は”フリー素材”なんでOKっす!」と言ってくれた日本維新の会政調会長の音喜多さんだけなんですが・・・

ただ実際にはいろんな「野党」議員と会合を持って最近の「感じ」を知ることができたのはめちゃ勉強になりました。

維新にしろ立憲民主党にしろ国民民主党にしろ、いろんな「中道派」に属する議員が、どうすれば「日本政治の次の着地点を描いていけるのか」みたいな話をそれぞれ考えているのが伝わってきたんで、その話をしながら、

「フランス革命型ではない明治維新型の新しい着地点」

…を現代日本政治の今後において作っていくにはどうしたらいいのか?という話をします。

(いつものように体裁として有料記事になっていますが、「有料部分」は月三回の会員向けコンテンツ的な位置づけでほぼ別記事になっており、無料部分だけで成立するように書いてあるので、とりあえず無料部分だけでも読んでいってくれたらと思います。)

1●「フランス人でも革命バンザイではない」場合もある一方で、「一部の左派日本人」だけはあくまで革命の理想を崇拝している

「フランス革命の理想」の「功罪両面」という話では、以下の長文ツイートがまあまあ読まれたんですが・・・

これ↑に対して、フランスの事情をよく知ってる人からは、

「あの開会式の演出はそれ自体実は革命礼賛ではなくむしろシニカルに批判している側面もある」

…という指摘も結構ありました。

でもね!

まあそのアレを作ったフランス人の「意図」はともかくとして、アレを見て

さすがフランスは、「権力者を暴力で打ち倒す」という民主主義の本質を知っているが、日本人は自分の力で民主主義を手に入れたことがないクズどもだからアレに批判的なんだろう

…みたいな「紋切り型の話」でめっちゃ盛り上がってる界隈が日本には存在しますよね。

で、なんかこの「ワンパターンな左翼的理想主義」自体がむしろ賞味期限が切れてきていて、余計に日本社会における政治の機能不全化を招いている側面もあるんじゃないかという話をしたいんですね。

2●「フランス革命の理想」自体が「欧米であることの特権性」を含んでいるという視点が必要な時代に

さっき貼った長文ツイートの内容とも被りますが、「フランス革命」に批判的な欧米の知識人としては、有名なところではナチスに対する分析で「凡庸な悪」というコンセプトを発表したハンナ・アーレントとか、あとTwitterでいろんな人が「イギリス保守思想の父」エドマンド・バークの名前を上げてましたね。

そもそも普通に考えて、王権を打ち倒したはいいが、その後は果てしない恐怖政治的内ゲバでいろんな人をギロチンにかけまくり、最終的には狂気の暴走から大戦争を起こして、ロシアなんか首都級の街を一個丸焼けにまでされてるんで、

『理想は良いとしてもうちょっとなんとかならなかったんですかね』

…というのは当然「問われるべき問い」だと思います。

なぜこの”問い”が現代にはもっと重要になってきているかというと、

「そんな混乱」を許容できたのはフランスが「欧米という特権階級の一員」だからで、もしこれが例えばアフリカのどこかの国でそういう混乱が起きたりしたら、一気に市場がカネをその国から引き上げて大変なことになるだろう

・・・というような視点がこれからの時代の人類社会では当然必要だからです。

つまり「あくまで非妥協的に暴力も辞さないロマンを追求する」ってこと自体が、「欧米の特権性ゆえに可能になっているにすぎない」事なのでは?という批判が厳しく問われるべき時代に既になっているということです。

ロシアによる最近のウクライナ侵攻などの暴走は、それ自体を決して是認するべきものではないにせよ、「フランス革命をあくまで究極的に素晴らしいものに描く世界観」が「首都級の街一個丸焼けにされた国」からどう見えるのか?という問題を提起していると言えるでしょう。

3●フランス革命と明治維新を比較すると…

一方で、この記事↓でも書いたけど、太平洋戦争中に日本社会を分析したアメリカの文化人類学者ルース・ベネディクトも、有名な『菊と刀』という本の中でフランス革命と比較した時の明治維新についてかなりポジティブに評価をしています。

フランスと日本を比べた時に、日本は「身分差」がフレキシブルに現場レベルで色々と融通が効くシステムになっていたために、フランスにおけるように「貴族層」と「ブルジョアジー(新興富裕層)」がフランスにおけるほど血みどろに対立することがなかった事を、『菊と刀』では肯定的な要素として上げているんですね。

これも、例えば欧米列強が手ぐすね引いてその他の世界を支配しようとしている19世紀のあの時期に、もし日本が「フランス革命的ロマン」だけで突っ走って血みどろの内戦を何年も続けたりしたら、人類社会における「非欧米」の地位が今のように”少なくとも建前上は”平等になる事が100年ぐらい遅れてもおかしくなかったのではないでしょうか?

フランスにおいて果てしなく血みどろの争いをした「下級武士=貴族=官僚層」と「新興資本家層」が、日本においては共通の目的に向かって明確な協力関係を築く事ができ、戊辰戦争の限定的な流血はあったにせよフランスのようなギロチン祭りもなく、ロシアの大都市を一個丸焼けにしたりもせず、なんとか「非欧米側の代表」として歴史の中に参加する事ができた功績は、決して貶められる事があってはならないと思います。

4●「日本だからできること」は「フランス革命の後追い」ではない。

要するにここまでの話をまとめると、「フランス革命によって生まれた理想像」っていうのは大事なものなんですよね。自由・平等・博愛とか法の下平等とかそういうコンセプト自体は。

しかし、当のフランス自体がその「理想」を扱いかねて相当な混乱を重ねて大戦争までお越してしまった歴史がある以上、その「取扱い」には細心の注意が必要だってことなんですよ。

また、「フランス革命型のあくまで非妥協的な革命」というのは「欧米だからできる特権的なこと」にすぎない側面があり、非欧米の国はそれぞれなりに自分たちに合ったやり方を考えることが大事だってことですね。

そういう意味で、日本においては、むしろ「明治維新型」の、「下級武士層と資本家がちゃんとパートナーシップを持って動かそうとする革命」こそが必要とされているのではないか?という発想が浮かんできますよね。

20世紀とかにおいては、例えば欧米人は無責任に共産主義とかの「実体とかなり合ってない理想」を次々とぶち上げては、自分のところでは実現しないからといって「辺境」に出かけていって無理やり社会実験をし、相当に酷い目に合わせてきた側面があるわけじゃないですか。

マルクスが資本論を書いたのはロンドンですけど、ロンドンがあるイギリスじゃあその後もまあ現実的な経済統治が行われる反面、遠い遠い東欧やロシアや中国でその「実体と合ってない理想」を無理やり実現しようとする人々が現れて、結果として数千万人が餓死したりする大惨事になったりした。

要するに、20世紀を通じて「非欧米」は、「欧米人のお花畑な理想」の「実験台」にされ、それで現実に酷い目にあうのは非欧米人だった・・・という「代理戦争」をやらされ続けてきた側面があるわけですよね。

「その点」をちゃんと是正する強い「団結」を維持しなければ、非欧米が「欧米的理想」を受け入れることは、単に分断化されて植民地支配を受け入れさせられる都合の良いプロパンガンダを飲まされる事に等しいとも言える。

要するに、「欧米内では非現実的だと相手にされずにフラフラ遊離してしまった地に足ついてない理想論のゴミ捨て場」として非欧米が扱われてきた歴史に終止符を打たねばならないってことですね。

5●日本における中道派政党の困難を超えて

で!

やっと冒頭で話した「今の日本の政治」の話に戻ってくるんですが・・・

今月半ばに、いろんな野党の国会議員の人と話してると、まあどこでも「中道派の現実的なオルタナティブ」を作っていくのにすごい苦労してるんですよね。

要するに、日本において「自民党的な鉄の結束」みたいなものから一歩でも離れてしまうと、さっきの「フランス革命の理想が非欧米においては非現実的な理由」みたいな分断に飲み込まれていってしまいがちで。

国家安全保障とか、電力システムの安定性とか、そういう部分で全然「先進国一個を運営する側に回る」覚悟が皆無な勢力に引っ張られ過ぎてしまうことで、結局「中道票」が逃げてしまって政権交代どころではなくなってしまう。

「欧米国内では吸収できなかった”地に足ついてない空想論”のゴミ捨て場」にされてしまうんですね。

いろんな党のいろんな議員と話しましたけど、「個々人ではすごい優秀だしすごい頑張ってるなあ!」という印象と同時に、「党全体」として衆参で何百人と安定して議席を取れる党になっていくビジョンは現時点ではかなり難しいだろうと思わざるを得なかったですね。

ただ、もし可能性があるとすれば、今の日本の「言論環境」全体を転換していく必要があるだろうな、という思いを持ちました。

ちゃんと

「無責任な最左翼層のムーブメント」というのは、「単なる欧米文明中心の植民地支配者目線にすぎない」

…的な発想からの、

むしろインテリのエゴにすぎない非現実論でなく、非欧米も含めた80億人民のリアリティに根ざした新しい理想の実現の仕方が必要なのだ

…というような、

「イデオロギーにはイデオロギーで対抗する革命理論(笑)」

…をシェアしていくことが必要なのかも??

そうやって最左翼の「非現実的な論調」自体にちゃんと免疫力が社会全体として発揮できるようになってこそ、その先で「非自民中道派政権」を打ち立てる下地が出来上がるってことですね。

そうすることで、今は立民と国民と維新にバラバラに存在してしまっている「非自民の中道派」の議員が、何らかの形で一箇所にまとまれる流れを作っていくことができるかも?

そういう風に一箇所にまとめることができれば、やっと「非自民の選択肢」vs「自民党」における「政権交代も可能な緊張感」が生まれてくることになるでしょう。

実際野党議員の有志の中では、今後10年〜20年単位ではそういうビジョンを描いている人も多そうで、それはかなり応援したい気持ちになりましたね。

6●逆風の中頑張る中道派議員の例(維新編)

今回いろんな「中道派野党議員」に会いましたけど、結構それぞれなりの立場から「中道のオルタナティブ」を目指して頑張ってる感じはあったんですよね。

とりあえずさっき写真貼った維新の音喜多政調会長は何話したかも含めて全部言ってくれていいってことだったので、彼のビジョンをもう少し紹介すると・・・

全体として「自民的なもの」が緩やかに票数が落ちていく先で、立民は最左翼層とくっついている限り現実の舵取りは絶対できない。そうすると「足りない票数を補える現実的な政党が必要になる。そこでどこかのタイミングで自分たちを高く売れるタイミングが来るので、そこでキャスティング・ボートを握って政権に参加する。

…みたいなビジョンを彼個人は描いているようでした。

まあこれ結構ありえるシナリオだな↑と僕は思いましたが、そのためには「維新がただのヤンキー政党でなく実務家路線でちゃんと普段から蓄積がある政党である」というイメージづくりが大事かもね、という話を、会合をセットしてくれたある論客の人は力説してましたね。

たとえば「社会保障改革」における維新の貢献を期待してる人は多いと思いますけど、昔「長谷川豊」さんっていう維新関係者がやたら暴言吐いて問題になってましたが、「ああいうイメージ」のままだったら全然何かを任せられそうな感じにならないので。。。

先日、音喜多さんは古市憲寿さんと食事してきたそうなんですが、そこで

「維新の議員って活字の本読んだりできる人もいるんですか?」

…ってイジられたって言ってて皆で爆笑しました。

でも確かに維新議員ってそういうイメージあるからね(笑)

実は相当にインテリも内部にいて、現場の事情も政策の細部もちゃんと解ってる人が揃ってるんですよ、というイメージを長期的に蓄積していけるかどうかだな、と思いました。

維新に限らずですが、「最左翼層」に比べてどうしても目立たないそういう中道派議員がそれぞれの持場で頑張っていった先にこそ、新しい日本は開けていくはずだと思います。

なぜなら、「日本をとりまく言論環境」自体が今後どんどん変わっていくからなんですよね。

7●メディアも野党もどんどん世代交代する先に希望は見えてきている

さっきアップした、私がAbemaPrimeに出演してきた時のまとめ記事↓

でも書きましたが、パックン(さん)みたいなガチでリベラル寄りのアメリカ人からも、「グローバルスタンダードの押し付けみたいなものが非欧米から反感を買う現状についてどう思うか」みたいな意見が主体的に出される時代になってきて、一昔前とは全然違う状況があるなと思っています。

「フランス革命礼賛型」のただインテリが暴力的なエゴをぶつけていく先のアンコントローラブルな革命像ではなくて、下級武士と新興資本家層がガッチリと協力関係を握り、その上で大衆の支持をも取り付けながら「現実的な改革」を一歩ずつ積んでいく明治維新型の革命に向かえるかどうかが、今の日本で本当に問われている事なのだと言えるでしょう。

そのあたりの「変化」は既に明確に見えてきていると思うんで、以下動画の最初の10分だけでもご覧いただけると、今ものすごく混乱しているように見える日本の政治が「その先の希望」に向かって着々と進みつつあることが見えてくると思います。(よろしければチャンネル登録もお願いします!)

一緒に「単なる夢破れた欧米の理想論のゴミ捨て場」にするのではなく、今の日本に何が必要なのかを徹底的に「日本社会に生きる生活者の目線」で洗い直す、新しい理想主義の掲げ方を見出していきましょう!

長い記事をここまで読んでいただいてありがとうございました。

ここからは、なんだかんだ「フランスの理想のあり方」自体は、「ただ盲目的なフランス革命の信奉者」みたいな形とは違う方向で今後の人類社会で重要な意味を持ちつつある、という話をしたいと思っています。

パリ五輪開会式について、

「アメリカではあれはできない。アメリカでは”涜神(神を冒涜すること)が許されない”カルチャーだからだ」

…といって「フランス的な世俗主義」がタブーを破ってその次を描こうとするエネルギーを礼賛してる意見をSNSで見かけたんですが・・・

まあ確かに、その人の言い分を引き受けて言えば、マリー・アントワネットの生首にしろ、「最後の晩餐のパロディではないか」とされる部分にしろ、「世界中で色々激論を巻き起こしている」ということ自体が、フランス文化が「その求められている役割を果たした」ということは言えるのかも?

「アメリカの商業主義の頂点」が、「なんでもかんでも並列的に相互批判しない形」で全部載せにしつつあるカルチャーを生み出している・・・っていう話は過去になんどかしていて・・・

例えばこの↓オッペンハイマーの記事とかですね。

以下の要約ツイートもどうぞ。

で、なんかこの「果てしなく両論併記的に並列化していく世界の混乱」が、「フランス的ぶっちゃけ精神」の場によって「決着」されていく流れっていうのがあるんじゃないかと思うんですよね。

何言ってるかわからない?

さっき貼った以下の動画も、過去20年に「世界のアメリカ化」が極限まで進んだことで、「果てしなく並列的にバラバラに並置された」ものが、「決着」していく新しい流れについて予言しているんですよ。

そういう「決着をもたらす最後の一撃」としてフランス文化の「踏み込む力」っていうのはあるな・・・と感じているという話を以下ではします。

僕もこういう「フランス文化の可能性」なんて全然信じてないタイプだったんですが、以下の結構読まれた長文ポストを書いた時に、最後の部分でノリで「レ・ミゼラブル」の歌を引用とかしたらすごい「新しい感覚」が生まれたんですよね。

さっきも書いたけど、「イデオロギーにはイデオロギーで対抗することが必要」ってことなんですよね。

「ただただフランス革命を礼賛して日本をディスる」ような盲目的な政治勢力に打ち勝つには、「自分たちがやろうとしていること」を「フランス革命的な理想主義」の形で表現して対抗していくことが必要なのかも?ってことですね。

そういう時に参考にするべき「フランス文化の可能性」というのはどういう部分なのかについて以下では考察します。

意味がわからん?ご興味があれば以下の部分までお読みいただければと。

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