私が『寺活』を続けられている理由①
みなさまこんにちは!けいとです。
noteを覗いてくださり、ありがとうございます✨
最近Twitterで、「続けることの大切さ」について
発信されているツイートをよく見かけます。
かくいう私も、Twitterの運用を始めてから、
それってとーっても大事な意識だと感じるので
私なりに自分が続けている「寺活」を例に出して
考えてみます。
あなたにとって「お寺」とは?
今週からはお盆休み。
お墓参りを予定されている方も、
少なからずおられるのではないでしょうか。
みなさんは、
お寺にどのくらいの頻度で通われていますか?
裏を返していうと、
お墓参りや法事以外に
お寺に足を運ぶことってありますか?
ほとんどの方は、
NOとお答えになるのではないかなと思います。
私は、毎月1回、必ずお寺に通っています。
熱心な檀信徒でもなく、
自分のご先祖様が眠っているわけでもない、
ただ「近所のお寺」にです。
そして6年というそれなりに長い期間、
通い続けることができています!
なぜかというと・・・
そう、月初めに1回、ラジオ体操をしに通っているのです。
小学校の夏休みを思い出してみてください。
まさにあの要領で、
参加者がお寺の境内で輪になって体操をします。
参加すると押してくれる、スタンプカードも
ご丁寧に用意してくれています。
写真は、記念すべき第一回目に出席したときのもの✨
少なくとも今の私にとってお寺とは
「ラジオ体操をしに行く場所」となっているのです。
一つのことを継続するということ
「ラジオ体操をお寺でやる」という、
たかが10分ちょっとで終わってしまう些細なイベント。
「月に1回くらいだったら全然通えるよ〜」
って思われましたか?
それが案外難しい。
月にたったの1回は、されど1回。
なかなか続けられない人が本当に多いのです。
「義務じゃない」ことは続けにくい
小学生の頃は、ラジオ体操に通うことって
夏休みの宿題と一緒で「義務」に近いものがありました。
どんなに眠くても、
「スタンプを貰わないといけない」
というタスクを伴うから通えていたたのだと思います。
大人になるとどうでしょうか。
スタンプを貰うことは義務じゃない。
ましてやラジオ体操をすることだって
義務じゃなければ、
お寺に通うこと自体も義務じゃない訳です。
「義務じゃない」って、
あっという間に自分を甘やかしてしまうんですよね。
行かなくても、怒られるわけじゃないので。
たった一度だけ参加して以降、来られなくなった方を
この6年間で何名(何十名)も見てきました。
では、私はなぜこの地味なイベント(失礼💦)に
通い続けてこれているのか。
「ワクワク」を作り出す
「お寺でラジオ体操」を習慣化するため、
私が心がけていることを以下に挙げます。
①「非日常を味わえる楽しみ」ととらえる。
お寺という空間に身を置くと、日常とは少し違って、
清々しい気持ちになりますよね。
背筋がピンとするというか。
その空気を味わうことを楽しもう!
と、心がけています。
②出席されている人と必ず挨拶をし、交流を図る。
参加されている方と挨拶を交わしているうちに、
「この人とは毎月会うな」
「この人は初めて見るな」
といった印象がお互いに生まれてきます。
そうすることで
「また会える楽しみ」を作るようにしています。
③季節によって見られる花を写真に撮って記録する。
お寺にもよるかもしれませんが
私の通っているお寺は
季節によってあらゆるお花を
見ることができます。
季節の移り変わりを
咲く花によって感じられるのが嬉しくて!
写真に記録しています。
④可能な月は、その後に行われる「朝参り」に参加する。
お寺の住職さんが毎朝行っている朝のお勤めを
「朝参り」と称して、
ラジオ体操の日は一緒に参加することができます。
一緒にお経を唱えたり
月によっては法話を聴けたり
短いワークショップを開いてくれたり。
参加者に有益な情報と時間を与えてくれています。
特にこの「朝参り」は、
お寺の住職さんが、仏教者として日常的に行って
いることを、
参加者により分かりやすく、
より身近に感じてもらえるためのもので
もちろん無料で参加できます。
私は、自分が「ワクワク」しながら
ラジオ体操に通い続けられるように
①~③の目標を設定しました。
その達成と、④のように、その道のプロから教わり
身になる情報の獲得を目的として通い続け、
気づけば「6年間参加」という実績を
つくることができました。
「継続」がもたらす「自利利他円満」の関係
「自利利他円満」
という言葉をご存じでしょうか?
仏教用語で、
自分の利益と他者への利益の双方がそろって円満になる
という意味なんだそうです。
Twitter運用にとっても、大事な考え方だなって
私は強く感じています。
私はラジオ体操に通い続けた結果、
1つのことを「継続する力」「習慣」という利益を
得ることができました。
お寺の住職さんともすっかり顔見知りになり
ラジオ体操という枠を越えて
お寺で企画された様々な催しのお手伝いを
させていただくことも増えました。
それは住職さんにとっては「担い手を得た」という
利益と考えれば、これも自利利他の関係かな。
このあたりのことは、また別の回で
綴りたいなと思っています。
継続するって、本当に意識することが大事です。
その意識を保つためには、
自分はどういう行動をすることが効果的なのか。
もしかしたらその行動が、自分のみならず
他の誰かにとってもプラスのことに繋がるかもしれない。
そう考えると
「継続していこう」って思えるようになるはずです。
私もまだまだ、課題の残る「継続力」。
ラジオ体操のように
しっかりと自分のモノにしていきたいと思います。
ここまで読んでいただき、
本当にありがとうございました✨
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