リエゾン 第6話
原作漫画を読んだことがない私は、このドラマは、どちらかと言うと、発達障害のある研究医志保先生にフォーカスを当てたストーリーだと思っていましたが、それは勝手な勘違いでした。
発達障害が疑われる娘を育てている身としては、そう言う内容を求めていたのかもしれません。
ですが、生きづらさを抱えてさやまこどもクリニックに訪れるこどもたちも、ヤングケアラーや摂食障害など問題も様々で、1話ごとに設定されたテーマを丁寧に扱っている作品でした。
そして、第6話は、SLD・限局性学習症とステップファミリー。
ああ、ステップファミリーについても取り上げてくれるんだ、と思いました。
物語の中では、夫の長男と妻の長女の4人家族で、こどもたちはまだ幼いので、我が家の状況とはまた違うけれど、長男と向き合う継母の台詞ひとつひとつが、この2年間で自分が発してきた言葉の数々で、痛いほど胸の内がわかるのでした。
佐山先生は優しく「母親になろうとしなくてもいいんですよ」と言ってくださる。
母親はこどもを愛するものである。と言う呪縛が、どれだけの母親を苦しめているか。
ステップマザーに対しても然り。
心ある友人は「それはもう母親よ」と言ってくれるけれど、私は未だに、自分がツムギの母親であるなんて自覚はひとつもないのです。
どんなに酷いと言われようとも、今はそれが答え。
縁あって生活を共にすることになったこどもを、本気で守ってあげたいと思う瞬間もあるでしょう。
その気持ちをすぐさま、母親の気持ちだと結びつけなくても、こどもを守っていくことに変わりはないのに。
ああ、でも、ドラマでは、この親子も心を通わせるんでしたね。
このお母さんの中には、長男も自分の息子であると言う気持ちが、きっと芽生えているのでしょう。
一緒に観ていた夫は、何も感想を語りませんでした。
語れなかったのではないかと思います。
お母さんが言った台詞が、耳に残っています。
「他所の子が、帰らないでずっと家にいる感じ」
さすがに、その感覚は薄れてきたけれど、例えば、なんでツムギは、冷蔵庫や食品庫を勝手に開けて、何の疑問も持たずに私が買ってきた食材を食べられるんだろう?と思ってしまうことはあります。
それが、私からの距離感に関わらず、娘からの感覚で我が家だと思ってくれているのだとしたら、喜ばしいことなのでしょう。
だから、わざわざ、母親である自覚がないなんて、口にしなければいいのでしょうけれど、この当たり前の感情に蓋をしてはいけないように思います。
大人がみんな立派な訳ではないのですから。
そう言う大人がいることが、ねばならない、べきである、に苦しめられているこどもを救う方法のひとつになればいいと思うのです。
ドラマから離れてしまいましたね。
もう次回は最終回なんだそうです。
私は個人的には、栗山千明さん演じる向山先生のように、冷静に優しく包容力を持って誰の話にも耳を傾けられるような人になりたいと、憧れを抱きながら観ています。
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