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哲学と中学生
知人が主催する哲学の会に娘と参加しました。
その日は、これから定期開催をしようと目論んでいる会のプレ回で、幅広い人脈を持つ彼女から直接誘われて集まった面々は、10代から50代まで満遍なく、哲学を語るにはバランスのよいグループでした。
最初に、Facebookで彼女の記事でお知らせを読んだとき、ああ、こういうところにツムギを連れて行ってあげたいなぁと思ったのですけれど、片道2時間の道のりを考えると、決心がつかないまま開催日が近づいていきました。
そんな中、彼女から「ツムギちゃんと一緒に参加しない?」と、直接お誘いを受けたのでした。
彼女とツムギは以前、別のイベントで顔を合わせたことがあったのです。
その通りにツムギに聞くと、二つ返事で「行く〜!」と。
哲学に興味を持ったかどうかはわかりませんでしたが、海の近くにある彼女の生活圏が、ツムギにとっても居心地がよく気に入った場所になっていたようです。
当日は、午前中の部活も休んで、お昼前に着くように出かけました。
海で写真を撮って、美味しいランチを食べて、散歩の途中で立ち寄った出店で、私はピアスを、ツムギにはキラキラ光るガラスのハートのネックレスを買いました。
時間を間違えて、開始より30分以上早く着いてしまった私たちは、近くの公園で紅葉を楽しみ、それでも会場には一番乗りをしました。
次々に現れる参加者。
物腰柔らかな女性、大学生の男子、頭に手拭いを巻いたおじさん(後の自己紹介で自ら『おじさん』ですと名乗っていました笑)…。
全部で11名。
どんな会だったかを簡単に説明します。
【ルール】
①一人の人が話している間、他の人は口を挟まないこと
②必ず自分の考えを話すこと
③NGワードは『人それぞれですが』
【流れ】
①まずは自己紹介(本名ではなくニックネームで)
②各々、日頃疑問に思っていることを2〜3ずつ挙げる
③その中から多数決で話し合うテーマを決める
④ルールに従って対話をする
これだけです。
時間は2時間。
テーマは二つに絞りましょう…と始めましたが、とても時間が足りず、30分延長したにも関わらず、二つ目のテーマはかなり駆け足になりました。
この日みんなで決めたテーマは、
⚫︎子供と大人の境目は?
⚫︎好きな人とだけ一緒にいてもよいか?
ちなみに中学一年生のツムギの疑問は、
⚫︎宿題はなくてはいけない?
⚫︎教科をわける必要はある?
⚫︎生きていることと死んでいることの境目は?
でした。
どれも、特に三つ目は、みんなの意見を聞いてみたいところでしたが、残念ながら、多数決では選ばれませんでした。
テーマがテーマだったので、みなさん、ずいぶんと最年少(というか、その日明らかな『子供』はツムギだけだったので)のツムギの考えに興味を持って質問をしてくださったので、ずっと大人の話を聞くばかりだったツムギも、だんだんと自分の言葉を話せるようになっていきました。
答えを出さないのが哲学。
人はずっと子供の部分を持っていて、大人になるといろいろな服を重ね着してしまう。そして、またある年齢を超えると、徐々にその服を一枚ずつ脱いでいく。
或いは、
大人とは、自分で責任を取れることである。
また、
大人っぽい、子供っぽいは、人によって、ネガティブにもポジティブにも捉えられる。
などなど。
それに対しツムギは、同級生の中では、『子供っぽい』はネガティブな言葉で、『大人っぽい』はカッコイイと感じるけれど、それを感じるのは人に対してではなく、その人の行為によるものだから、その時々によって変わるという意見を持っていて、周りの大人たちを唸らせていました。
私は、ツムギも一参加者として自分とは完全に切り離すように努め、他の参加者たちと同じように、うんうんと耳を傾けて聞くことに徹しました。
普段見ることのできないツムギの外ヅラと同時に、日常の会話では出てこない、ツムギの内面を知ることができて、とても有意義な時間を過ごしました。
逆に、私の考えや、様々な大人たちの考えに触れて、ツムギも今まで経験をしたことのないような刺激を受けたに違いありません。
最後にそれぞれが、今日の気づきを話した時、「大人の人たちはちゃんと自分の意見を言っていて、私もそんな風に喋れるようになりたいです」と感想を述べていました。
帰りの電車でもう一度感想を聞くと、「人が人を変えることができるんだって思った」と答えるので、もう少し具体的にと尋ねると、「哲学って難しいものだと思っていたけど、主催者さんのおかげで、ツムギにも話せる簡単なものだってわかったよ」と教えてくれました。
それから家に着いて夕飯を食べ終わるまで、その日選ばれなかったテーマについて、二人哲学対話を繰り返すこととなりました。
「これから月に一回くらい開催する予定なんだって」
そう伝えると「また行きたい!」と嬉しい返事。
ツムギには、こういう経験が必要だったんだなぁと、改めて感じました。
学校の勉強に意味を見出せなくて、勉強が嫌いで仕方がないツムギ。
学校の勉強だって大切よ。と口では言っているけれど、こういう学びの場に興味を示してくれるなら、きっとツムギは大丈夫と思えるのでした。
⚫︎生きていることと死んでいることの境目は?
【毛糸】
生まれた時から、誰一人自分のことを知っている人がいなくなった状態までが『生きていること』
【ツムギ】
名前を呼ばれると『生きている』と思う。
「お前」とか言われると『死んでいる』と思う。
「例えば、おじいちゃんやおばあちゃんが認知症になって名前を呼んでくれなくなったら?」
私は不粋な質問をしてみました。
家族は『そこにいてくれるだけでいい存在』
友達は『関わっていないとダメ』
だからね、家族でカラオケに行こう!って言うと、お父さんは「歌う歌が違うから」って言うけど、そうじゃないんだよ。
ツムギが歌っている時に、お父さんとケイトがいるってだけで、ツムギは安心できるんだよ。
そんな言葉が聞けたのも、哲学のおかげなのかもしれません。