見出し画像

自分に制限をかける”メガネ”を外してみる

こんにちは。
このnoteでは、コーチングの学びから得た、楽しく豊かに生きるためのヒントを言葉にしてみたいと思います。

仕事や日常生活の中で、なんだか苦手意識があるものやぎこちなさを感じることはないですか?
僕の場合、おカネを回収するのが苦手です。
歓送迎会の会費を集める役割すらイヤですね。特に支払いの遅い人に催促するのがとてもイヤ。
何だか、悪いことをしているような気がするんですね。
背中がザワザワして、気持ちが乗らない。相手に声をかけるたりメールを入れたりするのに妙に時間を費やしてしまいます。

なにか不自由さを感じること

これって自分の中に、
「おカネを要求するのは品性の無いガメつい人間がすることである」
「おカネに余裕のない人間だと思われてはならない」

という考えがあるからだと、コーチングの学びの中で気づいたのでした。
(気を悪くした人がいたら、ごめんなさい!)

この考えは「真実」でしょうか?
客観的に見ると、とても偏った考えのように見えますね。
にも関わらず、僕は無意識の中にこれを持ち、あたかも世の中の真実であるかのように信じ、そして生活に不自由さを感じていたのでした。
バカみたいな話ですが、こういうことって誰にでも起きていませんか?

無意識の「認知のメガネ」

このような無意識的に持っている考えのことをCo-Activeコーチングでは「視点」と呼びます。「〇〇はⅩX である」と本人が思い込んでいるもの。
それを通して世の中を見ているのでメガネのようなものです。
しかも自分がどんな認知のメガネを通して世の中を見ているか意識できていないことが多い。

人は実生活の様々な出来事の中で、「快」や「不快」の感情を経験します。
そしてそれをパターンとして認識し、もっと快が増えるように、あるいは二度と不快が生じないようにと、自動的に生成されるのが「認知のメガネ」です。

雪ダルマのように転がる

そしてこのメガネは、認知にバイアスをかけるだけでなく、その結果として取り得る選択肢にもバイアスがかかり、実際に取る行動とその結果にもバイアスがかかって、さらにメガネが強化される(=ますます真実だと思い込む)という性質があります。
例をあげてみましょう。


黒川くんは「上司の考えと異なる提案をするのはマズい」という認知を持っているとします。
提案が終わった後、上司が黙ってこちらを見ているだけで「何かマズいことを言ってしまった」と血圧が上がります。「若い人の意見は面白いねえ」とニヤリとしている表情からは「ああ、生意気なことを言ってしまったか」と冷や汗を垂らし、「ここの部分はもう少し考えた方がいいじゃないか」という言葉から「最悪だ、考えが浅かった」と思うかもしれません。
そして思うのです。
やっぱり上司の考えと異なる提案をするのはマズかった」


同僚の白山くんは「上司の考えと異なる提案をすると喜ばれる」という認知を持っています。
上司が黙ってこちらを見ている表情にも「お、驚きを隠せないようだ
と感じ、「若い人の意見は面白いねえ」というニヤリからは「手応えあり」と興奮し、「ここの部分はもう少し考えた方がいいじゃないか」という言葉から「そこだけ直せば採用決定!」と喜ぶかもしれません。
そして思うのです。
やっぱり上司の考えと異なる提案をすると喜ばれる」



ちょっと極端な例かもしれませんが、人は認知のメガネを通して世界を見ます。同じ出来事であってもメガネが違えば、違った現実として捉えられるのです。そのメガネが正しいことが裏付けられるような現実が次々と起きます。そしてそれが正しいという考えがどんどん強固なものになっていくのです。
他にも「明るく元気に挨拶すれば、相手も明るく挨拶してくれる」という認知や、「朝はみんなも忙しく不機嫌だから挨拶しないことがみんなからも望まれている」なんていう例も。そういう認知のメガネを持っているから、それに相応しい行動が生まれ、それに相応しい結果を体験して、またそのメガネの正しさを強めていく。まるで雪ダルマのようです。
ついには本人にとって当たり前のこと過ぎて、どのようなメガネをかけているのかも分からなくなる。これが心理のメカニズムです。

すべては思い込み

こういう話になると、まるで正しいメガネ間違ったメガネがあるように聞こえるかもしれません。
認知のメガネに正しいも間違っているもありません。すべてのメガネは思い込みです。
ただ、本人が幸せに生きやすいメガネと、幸せに生きづらいメガネがあるだけだと僕は思っています。
もしあなたが何か苦手意識を感じたり、やりたいのに行動に移せなかったり、周囲と衝突してばかりだったり、自分自身のことが好きになれなかったり、そんな「生きづらさ」を感じるときがあるとしたら、自分がどんな認知のメガネをかけているのか、探求してみるチャンスかもしれません。

じゃあ、どうするのか

最初のステップは、自分がどんな認知のメガネをかけているのかに気づくことです。そして2番目のステップは、それを外してみることに自分の中でイエスを出すこと。
ただ、認知のメガネは、自分が不快な思いをしないようにという防衛本能から生じているものが少なくありません。だからメガネを外すことは怖いはずなんです。
いきなり外すのが難しければ、今の自分にでもできる「ちょっとした実験」を試みてみる。これが3番目のステップ。


黒川くんの場合。
いきなり上司に対して「本当はどう思っていますか?」と聞くのが怖ければ、例えばお昼ごはんを食べる場所を「そっちじゃなくて、こっちにしましょう」と言ってみるとか。(それでも黒川くんの血圧は上がるでしょうけれど)
「ちょっとした実験」がうまく行ったら、すこしずつ実験を大きくしていけばよいのです。認知のメガネは体験からしか生まれませんから。

このチャレンジは一人でも出来なくはないですが、プロフェッショナル コーチはこれをサポートする腕を磨いていますので、一緒に取り組んでみるのもよいかもしれません。
それでは今日はこの辺で。

いいなと思ったら応援しよう!