見出し画像

Quality of Career -副業を通じて思うこと-

皆さんの関わっている組織では「兼業」「副業」は認められていますか?
最近では「複業」なんて表現する場合もありますね。
僕の勤めている会社でも兼業・副業をどのように捉えていくか社内で議論されていますが、話が噛み合わなくて歯がゆく感じることがあります。どうもそもそも「働く」とか「仕事」の捉え方が見えない前提条件となっていて、その土台が噛み合っていないければ、その上に立つ議論も噛み合うわけないなあということに気づきました。

今日はそんな話。
最初に断っておきますが、この記事で兼業・副業の是非を問いたいわけでははなく、あくまで一個人の捉え方をシェアしたい、そこから気づいたことをシェアしたいという意図で書いています、はい。


価値Valueを軸に

今回は、価値 Valueというものをキーワードに、①自分にとって価値がある、②人に価値を提供している、③対価を得ている、この3つの軸で考えてみたいと思います。人の営みをこの3軸で、敢えて単純化して整理してみます。

諸活動のValueマトリクス

Aいわゆる「仕事」

いわゆる「仕事」から考えていきましょう。
通常「仕事」と呼ばれている会社員の仕事、公務員の仕事に関しては、必ず「③対価がある」。まあ当たり前ですよね。給料があるから働いているわけで、お金が無かったら生活していけません。
「③対価がある」ということは、何かしらの価値を提供していて、それに対してお金を支払っている人がいるわけです。そういうわけで、「②人のため」についても必然的にYESです。

じゃあ「①自分のため」は?
やりがいを感じる、充実感がある、それ自体が楽しい、自分にとって意味がある、という項目に必ずYESと言えるかどうか・・・。
多くの人は、「そう感じるときもあるけれど、そればっかりじゃないよね」という感覚ではないかなと思います。

B 家事育児

では「家事育児」はどうでしょう?
炊事・洗濯・掃除など、家族のためにやらなければならないこと、たくさんありますね。だから「②人のため」にはなっているけれど、残念ながら「③対価がある」についてはNoですね。
「①自分のため」として、それ自体が楽しいのかというと、、、YESと言えたらいいんでしょうが、通常はNoでしょうね。「やりたい」からというよりも、「やらなければならない」からやっているのが実態でしょう。

C 趣味

「自分の楽しみのためにやっていることは、趣味というのです」
映画を見たり、本を読んだり、音楽を聴いたり、走ったり、泳いだり。
世の中には無数の趣味と呼ばれるものがあります。
いわゆる「仕事」は報酬を得るため、「家事育児」は生活維持のためにやっているけれど、必ずしも楽しいばかりじゃない。だからこその疲れを癒すために、夜や週末に自分のための時間を作って、自分のココロやカラダが喜ぶことする。
趣味の活動においては「①自分のため」が必ずYESで、「②人のため」「③対価がある」は通常Noでしょう。

「仕事」「家事育児」は生活のために必要だけど、疲れやストレスが溜まるので「趣味」でストレスを発散してバランスさせ、また「仕事」「家事育児」に励むというサイクルを生み出す。
そのような捉え方をしている人も多くいるでしょう。

D ボランティア

では「ボランティア」について考えてみましょう?
僕は、小中学生ラグビーチームのコーチを10年間やっています。
報酬はありません。けれど、子どもたちの頑張る場を作ることはとても楽しいし、練習メニューの考案、合宿の企画・手配、会計・決算など、相当に一生懸命やっています。
誰かにやらされているわけでなく、進んで自ら無報酬でやっている活動のことを通常「ボランティア」と呼ぶわけですが、Valueマトリクスで整理すると、人に対して価値提供しているだけでなく、それが自分にとって有意義であると感じられるということが必要不可欠です。
「①自分のため」Yes、「②人のため」Yes、「③対価がある」Noです。

「私はそんな慈善活動なんてやっていないよー」と思う人もいるでしょう。
でも、どうでしょう。報酬はなくても、人のためにやっていることってありませんか?
友人の相談に乗る、得意なことをを教えてあげる、みんなで楽しむ場を企画する、、、。
人のため、みんなのためになることを、無報酬でやっているとき、そこには何かしら自分にとっても楽しさや充実感、大事な価値観が満たされている感覚が伴っているのではないでしょうか。
きっと、人間は本能的に「人のためになることをやりたい」という性質を持っているのではないかと思うのです。

E ???

「人のためになることをやりたい」
そこから楽しさや喜びを感じるとき、「もっと知恵や腕を磨いて、もっと大きな価値を創出したい」と思うようになるのは自然なことです。
より大きな価値が創出して人に喜んでもらえるように、勉強したり練習したりして、自らを高めていくと、普通の人には簡単にはできないことができるようになってきて、そこに対価が生まれることも必然的なことです。

たとえば、美味しいクッキーを焼けるようになってフリーマーケットに出したり、家庭菜園で育てたキュウリを道の駅で販売したり、ピアノが上手で子どもたちに教えたり、靴磨きのコツをYouTubeで動画配信したり、、、。
受け取る相手が価値を感じてもらえるレベルになったら、そこに対価が生じることがある。でもやっていることの本質を考えると、C 趣味や D ボランティアの延長線上だったりするのです。
ただ自分が好きでやっている、ただ人の役に立てればと思ってやっているうちに上手になってきて、対価が得られるようになった、というだけ。
ここに対価が生じているからといって、明確な線を引いて「副業」「兼業」という呼び方をしても、ナンセンスだと思うのです。

なんのために働く?

「お金を稼いで生活をしていくために働く」
そりゃそうなのですけど、それだけじゃあないでしょう、と思うわけです。

やっていること自体に意味を感じて、自分自身が楽しい、とか
人の役に立っていて、自分自身も嬉しい、とか
「働く」を通して生まれるValueにはどんなものがあるのか、
そこにもっと人の意識が向かっていくと、いいんじゃないかなと思います。

A「いわゆる仕事」の中にも、どれだけ自分にとって意味があること、自分のココロやカラダが喜ぶような経験ができるのか、それがQuality of Careerを決めていく。
そして「仕事」とそれ以外の活動の境界線がなくなって、自分のココロとカラダが喜ぶことを追求していったら、自分のためにも人のためにもなってお金も稼げている、という状態が究極めざしていくところなのではないかと思うのです。
(現実はそんなに甘くないぞ!という声も聞こえてきそうですが、それはまた別の話)

話が尽きなさそうなので、今日はこの辺で。

いいなと思ったら応援しよう!